桜の館

7/17
38人が本棚に入れています
本棚に追加
/38ページ
「はー」  コーヒーよりも黒い湯に沈んで、早苗は吐息を漏らした。  桜館の湯は黒湯だ。植物性の有機物が多く含まれていて、粘度が高い。少しぬるめの柔らかい湯が、早苗の体を包み込んだ。  気持いい。  たゆたう湯に溶けてなくなりそうな感覚に浸りながら、疲れているな、とふと思った。  教職で三年目といえばもう新人でも何でもなくて、うっかりすると学年主任の座を押し付けられる中堅だ。 かろうじてうっかりの方は避けられた早苗だが、そのかわり校務分掌の仕事が増えた。  三年経ったからといって子どもたちから手が離れるわけでもなく、保護者たちの不安が無くなるわけでもなく。新人研修は減ったがその分こなさなければならない研究授業の量は増えたし、校内での仕事も増えて……。  つまり慣れて手際よくこなせるようになった仕事量を遥かに凌駕する量の仕事がのしかかって来ていた。  その上、三年片思いした男は、この秋どうやら本命を見つけたらしい。  孤独に歪んで、世界を嘲笑するような軽薄な男。生きることに投げやりで、だから誰も大事にすることができない男。  どこがいいのかと問われたら言葉に詰まるが、体を繋いでいるうちに情が湧いた。それが愛だと気づいた頃には今更何かを言える関係ではなかった。  ……いや違う。何かを口にして、彼を失うのが怖かったのだ。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!