そうだ、銭湯に行こう!

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 文庫にちらりと目をやって、やれやれ、と一貴がため息をつく。 「またえらく夢中になって読みふけっているなと思ったら……。早苗さんは気に入った本に影響受け過ぎ」  大方蒲田の銭湯について作中に描写があったんだろう、と一貴が推測する。 「そうだけど、そうじゃないのよ」  本を読み終えた後に来る、体から溢れるような読了感を他の人間に伝えるのは難しい。 「そうじゃなくてーーー!」  読んでよ。読んだら分かるわよ。何がおもしろいか。つい銭湯に、蒲田の銭湯に行きたくなるこの気持が。読んだら、絶対。  言おうとした言葉は、しかし一貴に先制される。 「俺は読まない。ハウツー本や専門書ならいざしらず、物語には興味無い」 「……し……ってるわよ……!」  甘い話も辛い話も、一貴は物語の全てを遠ざける。それどころか他人の身の上話も聞きたがらない。  以前の早苗なら、他人に興味が無いのだと嘆息しただろうが、今は……少し違う感想を持っている。  羨みたくないのだ。多分。物語に触れ、その中に生きる人物たちの世界を目にする事で、違う人生もあったかと自分の人生を哀れむのが嫌なのだ。  そう思うのは、最近一貴がご執心の、ある女子高生の苦言が効いているせいかもしれない。  ──興味がないんじゃない。興味が無いふりをしているんだ。    早苗よりずっと浅いつながりしか無かったはずの彼女は、早苗よりずっと短い時間で早苗の知らない一貴に辿り着いた。それはなんだか、少し寂しくて、少し切ないことだった。
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