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飲みながら勘定でもしているのか、一貴はいつも会計を示される前に、極めて近い金を信司に差し出す。今日は手持ちに小銭があったようで、ぴったりの額だった。
「タクシー呼びますか?」
コートを羽織る一貴に尋ねると「酔い覚ましに少し歩きたいからいい」と断られた。
「それよりさ」
ふと手を止めて、一貴が思い出したように信司を見た。
「いいの? シンちゃん」
最初と同じ言葉を言って、一貴がこちらを見据える。
「銭湯なんか約束して。大丈夫?」
ああ。そうか。
彼が何を危惧しているのか思い当たって、信司は思わず頷いた。
「大丈夫ですよ」
誰にも入れ込まず、興味も持たなかった一貴が、自分を案じて声をかけている。その事に気づいて、信司はなんだか感慨で胸が詰まるのを感じた。
同時に、それほどまでに彼女の存在は一貴に影響を与えるのか、と一人の少女の姿を思い浮かべる。
「大丈夫です。ちゃんと場所は選びましたから」
打つ手は打っていると示唆すると、安心したように一貴が少し微笑んだ。
「そう」
それきり何も言わず、不器用な常連の……友人は、店の戸をくぐって行った。
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