目も当てられぬこと

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14年前、耕作とコーヒーと養鶏でここの暮らしが始った。しばらくして彼はオーガニックコーヒーを始めた。 初めの3年は土づくりをしなければならない。3年後、収穫したコーヒーを売りに出したが買い手がつかなかった。彼は資金繰りに苦しんで普通のコーヒーとして売った。以後オーガニックはウチの農場では絶えてしまった。 ある日彼は ”キュウリを始める” と言った。瓶詰め加工している工場が買ってくれるということだった。私は怪しんだ。だが彼は大きなハウスを作り出した。のちに境界線で仲たがいする隣人と共同で苗を植えた。 収穫ができるようになって彼らは出荷した。最初目当ての工場は買ってくれた。そのうち ”まだあるから今はいらない” という返事が来た。それが度重なってスーパーに売った。一度は買ってくれたがそれも断られた。そこに隣人と諍いが起きた。 私が心配したことがその通りに運んでいった。 使ったお金は全く回収できていなかった。ブラジルに来た時に、もしこの生活がうまくいかなかったときのために、私はお金を残しておいた。そのお金も彼が何かを始める度に出してすべてなくなってしまった。 私はただ手をこまねいて見ていたのではない。その都度忠告をした。しかし聞かない。又は黙って始めてしまう。 山羊を飼う、と言い出したことがあった。 ”人が山羊が儲かると言っている” と彼は熱弁をふるった。そうこうするうちにせっせと山羊を買い始めた。私は彼に言った。 ”もし山羊が儲かるのなら、隣のやもめは今頃金持ちのはず” と。きゅうりの隣人の弟が隣に住んでいた。彼はずっと豚と山羊を飼っている。休みに街の売春婦(売春はブラジルでは犯罪ではない)に会いに行くのが楽しみな男である。 この国に来て4年目の頃、私たちはテレビに出た。ほんの数分だけだが全国放送の農業関係の番組である。それに出てさえも山羊はたった1頭しか売れなかった。しばらくは辛抱していたが ”買い取ってもらってお金に換えろ” と私は彼に言った。 他には魚の養殖の為に大きな池を作ると言って、いきなり大型機械が来て土地を掘り出したこともあった。これも使われないままの大きな池が二つ、土地の中ほどに今もある。 彼は次々と夢(らしきもの)を持つ。だが残念なことに計画や、その仕事の将来性を見る目が甘い。そういう人だから金銭感覚も甘い。自転車操業。じり貧。こういう言葉が去来した。
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