四月 筋トレ

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「ぬぇぇぇぇ」  意味不明なうめき声をたててへばりこむのは、クラリネットの美花である。相変わらずの不真面目キャラだが、あの復帰歓迎会以来何だかんだで練習には来るようになった。それはいいのだが。 「たかが三回で音をあげるの?」  守山は呆れ顔である。腹式呼吸に使う筋力と筋トレで鍛えられる筋力は確かに異なるが、だからといってコンクールまでのキツい練習をこなせるための基礎体力が不必要な訳がない。もう無理と伸びた美花を、半ば強引に体育座りさせる。 「最低でもあと二回。できなければ帰しません」 「ひぇぇ鬼教官!」 「なにか言いましたか?」  有無を言わさない雰囲気の守山に美花も折れ、へなへなと力なく二回の腹筋を終えた。 「全く。名門校の吹奏楽部はそれぞれ三十回は当たり前です。これから二週間で皆さんには腹筋背筋腕立てそれぞれ二十回は出来るようになっていただきますから、覚悟なさい」  非情に告げる守山に、既にノルマを終えて部室で死に絶えていた部員たちの目がさらに死んだ。  掃き清められた廊下に、二十人いる部員の半数が壁に足を向けて横になり筋トレをする。残り半数は彼らの頭側に立ち、数を数えるとともに不正をしないよう見張るのだ。不正をしたらパートナーも責任を負うと言われ、部員たちは血眼になって守山の示したメニューに食らいついた。 「さすがにこれから合奏でまたしごくのは可哀想か」  生気を失った部員たちに、守山は温情をかけて休憩、と号令を掛けた。いつもならお祭り騒ぎになるのに、この日は静まったまま部員たちは微動だにしない。  しかし水川菊は違った。彼女は早々に筋トレを終え、階下のサックス室で基礎練をしているらしい。  たかが一週間楽器に触れなかっただけで、水川は意図した音がでないと嘆いた。そして心新たに、自分の音でサックスを奏でられるようになるべく練習を始めたのだ。  守山は、悲しい出来事を乗り越えてサックスを再び手に取ってくれた水川を誇らしく思った。
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