センセ、と永遠のキスでささやいて

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 浅野さんに手を引っ張られ、他の子たちに背中を押されるようにして体育館からわけがわからないまま連れ出される。  他の生徒たちも困惑しつつも好奇心には勝てないといった顔でぞろぞろとついてくる。 「何があるの?」 「さあ?」  もう片方の手をつないでいる蒼くんが笑いながら肩を軽くすくめた。  連れて行かれた中庭は、すでに屋台にいる人は少なく、その中央のステージばかりが存在感を放っている。  そしてそのステージ上には赤く細長い布が中央の階段から下へとまるでバージンロードのように敷かれている。 「これって……」  ステージ中央には縦長の台が置いてあり、そこには黒いローブを羽織った男子生徒が立っていた。 「……え、佐藤?」  蒼くんが訝しげにその男子の名前を呼んだ。  呼ばれた佐藤くんは、にやりと蒼くんに笑って見せる。  どうやら蒼くんが受け持ったクラスの子らしい。  浅野さんは私と蒼くんをステージの上にあがらせると、すぐに後ろに身を引いた。  その代わり、別の女子があがってくる。2Cの笠松さんだ。 「杏ちゃん先生。少し頭さげてー」  言われるままにすると、ふわりと何かが被せられた。  純白の総レース柄になっているヴェールだ。 「これ……!」 「はい、あとこれね」  白い花を集めた小さなブーケ。  皆でお金を出し合ってちゃんと花屋さんで用意してくれたに違いない。  艶やかに光る白いリボンが長く巻き付いていて、ささやかだけど思いのこもった、まさにウェディングブーケだった。 「片桐先生、成瀬先生。正式じゃないけど、オレらからのささやかなお祝いっす」  神父役らしい佐藤くんが、どうやら教会にある聖書台を模した台の向こうに立った。 「ええー。よくわかんないんで適当なんですけど、お2人の結婚式をこれから執り行います!」  ひときわ声を張り上げた佐藤くんの言葉に、いっせいに歓声や拍手が沸き起こる。  なんだかふざけているのか、真面目なのかわからない。 「せっかくだし、楽しもうよ」  隣の蒼くんに楽しげにささやかれて、私は苦笑しながら小さく頷いた。 「いろいろ神父の言葉ってあるらしいけど、すっとばしましてー」  絶対楽しんでいるだろうエセ神父の佐藤くんの言葉に、ステージ周りに集まる生徒たちが笑う。 「新郎、成瀬蒼。あなたは、片桐杏先生を妻とし、健やかなる時も病める時も、豊かな時も貧しい時も、ともに歩み、死が2人を分かつまで、妻を愛しぬくことを誓いますか?」 「誓います」  蒼くんは少し笑みを浮かべつつも、はっきりとそう口にした。  文化祭の、たぶん余興みたいなはずなのに、なんでか緊張してくる。 「新婦、片桐杏。あなたは、成瀬蒼先生を夫とし、健やかなる時も病める時も、豊かな時も貧しい時も、ともに歩み、死が2人を分かつまで、夫を愛しぬくことを誓いますか?」 「はい、誓います」  照れくさくてつい声が小さくなる。 「先生。もう少し大きな声で。誓いますか?」  佐藤くんがいかにも厳粛そうな顔をつくりながら変に低い声を出すから、なんとなく笑ってしまう。 「遊んでない?」 「いえいえ、大真面目っす。さあ、先生、誓いますか?」  促されて苦笑しながら、それでもさっきよりは声を張る。 「はい、誓います」 「すばらしい! それでは、誓いのキスを!」 「……するの?」  思わずそっと蒼くんに確認する。  絶対、この誓いのキスをさせるのが目的だったに違いない。  じゃなきゃ、周りの生徒たちが「キース! キース!」と囃し立てている意味がわからない。 「もちろん」  蒼くんはどこか不敵そうに即答した。 「ふ、ふりだけは?」  少し逃げ腰になると、蒼くんは「誓いを立てたのに、ふりだけじゃ意味なくね?」と言いながら体の向きを私の正面に変えた。 「ほ、本当に? いくらなんでもまずいよ」  大勢の生徒たちの前でキスする余裕なんてとてもじゃないけどもてない。  なにより、いちおう同じ職場の先生たちがなにげに遠くから生ぬるい視線で見守っているのに気づいていた。 「でも今は、女子高生でしょ?」 「それ言う?」 「いいじゃん、こんくらい。恥ずかしいならオレだけ見つめてて。それなら周り気にならないよ」 「でも……」 「でもじゃない。だって、杏、マジ綺麗。ヴェール被ってるだけで、本当に花嫁みたいだし」 「……っ!」  ほおが熱くなる。 「制服なのに……」 「そんなの関係ない」  言いながら蒼くんが私の顔の前に垂らされたヴェールをそっとあげた。 「ね、近いうちに本物見たいな、オレ」  蒼くんが私の方に少し身を屈めながら囁く。 「……うん」  照れながらも小さく頷く。  いつのまにか周りは静かになっていて。 「ねえ杏。杏のこれから全部、オレにくれる?」 「じゃあ蒼くんのは、私にくれる?」 「当然でしょ」  そっと周りに聞こえないようにささやきあいながら、蒼くんが私の顎にそっと手を添えてゆっくり顔を傾けた。  目を閉じると同時に、蒼くんの唇が唇に軽く重なった。  ほんの触れただけですぐに離れる。 「杏、愛してる」  とたん、ふいに蒼くんに引き寄せられて、再び強く唇を重ねられた。  それは一瞬のようで、でもすごく長い時間のようで。  慌てて、軽く蒼くんの胸を叩く。  もう離れて、という意味で。  でも蒼くんの腕の強さに離れるに離れられないままでいると、すぐそばで咳払いする音がした。  佐藤くんが真っ赤な顔を背けたまま、また、わざとらしく咳の音を立てた。 「もういいわけ?」  顔を離した蒼くんが意地悪そうな声で言った。 「い、いいっす……。まだ未成年のオレらにはちょっと、なんつうか、お腹いっぱいっす……」  情けない神父の顔に思わず吹き出す。  ステージ下の生徒たちには聞こえてなくても、一番至近距離にいる佐藤くんには、きっと私と蒼くんの会話なんて筒抜けで、あてられてしまったに違いない。  それがおかしくて笑いだした私に、蒼くんが、そして神父の佐藤くんがつられたように吹き出した。  その時、生徒の誰かが「杏ちゃん先生、おめでとう」と声をあげた。  それはすぐに、輪を描くように「おめでとう」という言葉と拍手の幾重ものさざなみのようになって広がっていく。  同時にわざわざ用意したのか、紙吹雪とクラッカーが鳴った。 「もう、なんか、すごい」  蒼くんと目を見合わせてステージの下に押し寄せるようにして集まっている生徒たちを見た。  浅野さんや2Cの女子たちは少し上気したような表情で、でも嬉しそうに拍手してくれて、男子たちはなんとなく照れくさそうな居心地の悪い顔で手を叩いている。  誰かが「杏ちゃん先生、ブーケ投げてー!」と声を張り上げた。  それにいっせいに女子たちがどよめく。  遠巻きに見ている子もいるけれど、すぐそばに集まっている2Cの女子たちはほしいという素直な表情を浮かべていて、思わず笑みがこぼれる。 「半分はそれ目的だったんじゃない?」と言うと、さざめくように笑いが起きた。 「じゃあ、1、2、3で投げるから、準備してー」  蒼くんから手を離して前に進み出る。  それを合図に、それまで少し距離を置いていた3年生や他校の女の子たちも目を輝かせて駆け寄ってくる。  おしあいへしあいする女子たちに背を向ける。 「じゃあ、行くよー。1、2、」  ブーケを両手で持ちなおし、それからいったん下におろして。 「3!」  大きな声で両手を大きく上に振り上げて、後ろへと真っ白なブーケを投げ上げた。  それは優しい光と柔らかな風に花とリボンを揺らめかせ、爽やかな軌跡を描きながら青い空へと高く舞いあがった。 ***
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