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不真面目男子と思ってたのに
成瀬蒼くんは、目立つ生徒だった。
教育実習が始まって、教室の後方で先生の授業の進め方や指導方法を見ていると、生徒たちの様子は思ったよりよく見える。
茶色く染めた髪と左耳に3つ、右耳に2つのピアス。
甘いマスクに細身の身体。調子がよくて、どこかだらしなくて、でもそれが女子の母性をくすぐっているような。
そのせいなのか、休み時間の時にはいつも周りに人が集まっていた。
楽しそうな、どちらかというとバカ笑いのような声が響いていた。
成瀬くんの授業態度は本当に不真面目で、いつも授業中に寝ているか、音楽を聴いてるか、スマホをいじっているか。
それなのに担任であり指導教諭の小林先生から、彼が学年でも常に10位以内の成績をキープしていることを聞かされて唖然とした。
私の教育実習は、現代国語が担当だった。
授業をいくつか見学した後、実習後半は、私自身が実践として教壇に立つ。
最終的には、複数の先生たちの前で実習の集大成となる研究授業を行う。
「今日は片桐先生の現代国語だ、しっかりやれよー」
小林先生のからかうような口調に私は苦笑しながら教壇にあがった。
少し高い教壇から見渡す教室は、なんだか広いような狭いような不思議な印象で、生徒みんなの好奇心に満ちた目の輝きに、それはからかいや品定めや優しさやいろんな表情を含んでいたけど、満ちていた。
まっすぐ見られていることに怖じ気づきながら、授業開始を告げた。
その中で一人、成瀬くんだけは窓の外を向いて、つまらなそうにしていた。
目立つだけにあからさまな態度が、教壇に立ったばかりの私の胸に小さな棘となって刺した。
「教科書の34ページを開いてください」
気持ちをたて直しながら指示を出して、黒板に中原中也の詩のタイトルを書く。
「サーカス」
「中原中也が活躍したのは昭和初期の日本です。この詩は彼の代表作で、ブランコが揺れる擬音語が特徴的な詩ですが、……」
時間が過ぎるほどに生徒たちの顔や表情を見ている余裕なんか全然なくなって、ただ必死に昨晩しっかり練ったはずの授業計画書にそって進めていく。
時間を意識して、解説して、板書して、生徒に質問して、答えさせて。
「じゃあ、ここで、ここまで説明した中原中也の思いを汲み取りながら、最後に詩を朗読してみましょう」
生徒たちが声をあわせて、詩を朗読し始める。
授業の終わりが見えたことに少しだけホッとしながら、朗読中の教室を見渡した。
その時、成瀬くんが頬杖をついて、教科書よりも私をじっと見つめていることに気づいた。
鮮やかなほどに透明な光を目にたたえて、その唇には、かすかに大人びた笑みを浮かべて。
一瞬にして、先生という顔が引きはがされた気がした。
先生と呼ばれるほどには人生も何も積んじゃいない、中途半端な自分がむき出しにされたような羞恥心がこみあげた。
それほどに成瀬くんの瞳は澄みきった月のように冴えて、私の心を突き刺した。
「……ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
最後の擬音語の息づかいが教室に揺れるように残って消えた。
「……先生?」
前方の席の生徒が訝しげに声をかけて、私は目が覚めたように皆を見渡した。
同時に授業終了のチャイムが鳴って、生徒たちの表情が緩んだ。
「えっと……、はい、ありがとう。授業を終わります。質問があったら国語科準備室に来てください」
自分が教壇に立っていることが恥ずかしくて、少し教科書を雑に片づけて教壇をおりた。
教室を出ると、教室内よりは温度の低い廊下の空気が気持ちをなでた。
こんなんじゃ、ダメだ。
授業も指導内容を終わらせるのが精一杯で、伝わっているのかすら分からなかった。
何より成瀬くんの目を思い出すと、自分がここにいていいのかさえ不安で、心許なくなる。
それでも他の担当クラスの授業をこなしていくうちに、なんとかスムーズに進められるようにはなった。
ただ成瀬くんのいる教室だけは、うまくいかない。
板書しながら、背中にいつも視線を感じた。
彼が、見ている。
振り返れば、視界に成瀬くんが入る。
それは他の生徒も同じなのに、なぜか彼だけ、そこだけ光を放っているみたいだった。
いつも顔をあげて、成瀬くんは私をまっすぐ見つめていて、その視線が授業を重ねるごとに、今日よりは明日、明日よりは明後日と、熱を孕んでいくみたいで。
その瞳の前では、私は自分が先生であることを忘れてしまいそうになる。
だから、自分で計画しておきながら授業の進行さえよく分からなくなって、いつも時間より早く終わるか、時間を過ぎてしまうかのどっちかだった。
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