第1章

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 その奇妙な店は、私の祖母が経営していた。「八百屋」という名の本屋であったが、父は頑なに私をその本屋に近づけなかった。私は小学4年生の頃に父の転勤により引っ越したが、それまでに住んでいた家から徒歩10分、木造の家屋が建ち並ぶ城下町の一角にその本屋があったのを覚えている。 今思えば、その本屋を奇妙だと思っていたのは私だけかもしれない。血縁なのに会えない祖母。近くにあるのに入れない店。きっと、そんな状況だったのは私だけだったからだ。  あれから16年。化粧品会社に勤めている私に転機が訪れたのは、あの町のことも幼少時代の淡い記憶となった頃だった。 「佐伯市に出張…ですか?」 椅子にふんぞり返ったまま、中年太りの上司は言う。 「ああ。商品開発の研修だよ。鮎波町駅の近くにある会社でね」 鮎波町…それは、まさに私が幼少時代に住んでいた町だ。私が引っ越した後、隣の市と合併して佐伯市となった鮎波町。その中心となる鮎波町駅の西側に、あの城下町があったはずだ。 「研修は16時頃で終わるしね、きっと楽しい研修になるよ」 そう言って、上司はそのブルドッグ顔に似合わないウインクをした。  出張は電車で行くことになった。何でも駐車場が狭く、私以外の参加者も含めると、とても停めきれないんだそうだ。電車に揺られている間、私の頭はあの頃のことでいっぱいだった。小学校の校舎はあの頃のままかなとか、あの駄菓子屋さんはまだあるかな、とか。  降り立った鮎波町駅前は、あの頃の面影を残しつつ、少しだけ変わっていた。鋪道が整備され、滑らかな歩き心地になった。見覚えのある不動産屋の隣には、小綺麗な美容院がある。私は記憶と照らし合わせながら、研修先の会社を目指した。  それは住宅と飲み屋や喫茶店などが入り交じる裏道にあって、確かに窮屈な場所だなという印象だ。その会社が16年前にもあったかどうかは定かではないが、こんな偶然もあるんだなと少し特別な気持ちを抱きながら、足を踏み入れた。
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