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「うん…嫌いな訳じゃないんだけど、何となく」
なんだか申し訳ない気持ちになった。私は開いたままの「高瀬舟」の行頭に目を走らせていた。
「…そうかい。まあ、若い子はそんなもんかねぇ」
少しトーンの下がった声を聞いて、私は取り繕うように返した。
「でも、授業とかでやるのはすごく楽しいよ!」
「そうかい、授業でやるのかい」
尋ねるような口調で、語尾を上げるおばあちゃん。
「うん!『高瀬舟』もやったんだよ。喜助の行動は正しいと思うか、なんて質問されたなあ」
喜助は、弟殺しの罪人の名前である。
「紗輝はなんて応えたんだい?」
ギクッとして一瞬呼吸が止まった。実は、「高瀬舟」はそれほどはっきりと覚えていない。ただ、この時代に尊厳死の思想を持つ人がいたんだと、衝撃を受けたのは覚えてる。
「た、正しくない、って答えたかな。やっぱり人殺しはいけないし…」
でも、これは弟が望んだことなのに、という気持ちがぐるぐるとする。ただの人殺しではなく、自殺幇助だ。
そんなことに頭を巡らせていると、「おばあちゃんは」と聞こえた。
「おばあちゃんは、これ自体は間違ってないと思うねぇ」
「? これ自体は?」
「間違っていたのは、弟だねぇ」
おばあちゃんの声は弱々しく続ける。
「こんなに想ってくれる兄がいて、心配してくれるご近所さんがいて、何が不満だったんだろうねぇ」
目から鱗だ。今まで焦点を弟に向けてみようなんて、考えてもみなかった。
「…おじいちゃんも、最後は血を吐いて死んだよ。でも、ありがとうって言ってくれたから、おばあちゃんは今まで生きてこれたのさ」
――あ。
それは、おばあちゃんだからこその視点だった。私には、わかるはずもない。愛する人の幸せを、喜助やおばあちゃんほど全力で考えたことなどないのだと思い知った。
「――おばあちゃん。これください」
私は、カウンターに森鴎外の短編集を置く。
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