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その奇妙な予感は
「行ってらっしゃい」
隆司を送り出して、佳代子はよし、と気合を入れた。専業主婦の一日目である。何もかも完璧にしなければならない。
洗濯機を回し、その間に軽く掃除機をかける。
「あ……そうだ」
朝顔。
夜は室内の方がいいだろうと思ったが、今は朝である。少しは日光を浴びせた方がいいのかもしれない。
佳代子はベランダを開け、鉢を移した。
朝の爽やかな光に照らされて、朝顔はその葉をつやつやと光らせている。
「水、は、朝のうちにがいいんだっけ……」
何しろ、今まで植物にはほとんど縁がない生活を送ってきたのである。もしかしたら、小学校の時に宿題で出された、朝顔の観察日記、以来かもしれない。
水を入れたコップを持ってくると、朝顔にぱしゃりとかける。水滴がきらきらと輝いて、宝石のような美しさであった。
佳代子は自らもベランダに出て、朝顔をじっくりと眺めた。
三本の支柱に絡まる、しっかりした蔦。少し斑の入った、ハート形のような葉。青と白の螺旋模様が綺麗な蕾。まだ、花は咲かないようだ。もうすぐにでも咲くかと思ったのだが、なかなか頑固者のようである。
――この蕾、キャンディみたい。
そういえば、そんなことを言った友だちがいた。朝顔の蕾を指さして、キャンディみたいだね、と言った友人が。
佳代子は微笑んだ。確かに、朝顔の蕾はキャンディに似ている。
せっかくいただいたのである。綺麗に咲かせたいものだ。
「……じょうろ、買おうかな」
どのみち、夕飯の為に買い出しに行かないといけないのだ。そのついでにじょうろや、肥料も買おう。
蔦はこのまま伸ばしていていいのだろうか。成長したら、この三本の支柱ではとてもではないが支えきれない。
なにか、他に太めの支柱を買ってきて、それに誘導して……。
「あれ?」
今、頭に何かが過ぎった。
嫌な予感がした。不安とも言っていいかもしれない。指に出来たささくれのように、気にしなければたいしたことはないが、どうしても気になってしまう。そんな感覚に近い。
――気のせいだ。
佳代子は微笑んだ。環境が変わって、それで、少しだけ不安定になっているのだ。そうに違いない。
洗濯機が、終了の合図を鳴らす。
「はいはい、今すぐ」
駆け寄って籠に移し、ベランダに洗濯物を干し始めるころには、あの嫌な予感のことなど、すっかり忘れてしまった。
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