聞き耳ラジオ

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 久しぶりに晴れ渡った秋の陽気は散歩日和だった。  学校から帰って、自転車でひとり、イチョウがあるお寺に向かった。  初詣に何度か来たことがあるくらいで、滅多に来ない場所だった。  一台も車が止まっていない駐車場に自転車を止めた。  右側に広がる墓地にも境内にも人はいないようだった。  お寺とか神社はさみしい感じがして、あまりひとりでは来たくない場所だった。  このお寺はさらに怖い雰囲気がある。  その元凶があのイチョウだ。  イチョウは低い金網に囲われていて、太い主幹にはしめ縄が巻かれている。  立てかけられた札には「公孫樹」と書かれてあった。  下の方の幹は折れないように棒で支えてある。  そしてその幹から、鍾乳洞のように突起物がぶらさがっている。  溶けた皮膚が垂れ下がっているようで、気味が悪いのだ。  わたしはイチョウを見上げながらフェンスの周りを歩き始めた。  葉っぱはまだ紅葉してなくて黄緑色の葉が生い茂っている。  主幹の上部は雷が落ちたようにぼろぼろになっているが、ものすごい生命力を感じた。  きらきらとした木漏れ日に、動く陰があった。  猫だ。  逆光になって見えにくいが、三毛猫に見える。 「ステファン……」  そうっと呼びかけてみた。  猫はこちらに気づき、差し足のまま動きを止めた。  ぜったいに、ステファンだ。  どうしよう。  フェンスを乗り越えて木に触れたら会話ができるだろうか。  周りをきょろきょろと見回したら、やっぱり誰もいない。  フェンスにも立ち入り禁止とは書かれていないし。  それでもフェンスを乗り越えるのはためらわれた。  なぜだろう。  このイチョウの木についてそれほど多くのことを知ってるわけではない。  このお寺の信者でもないけれど、この境界の内側へ立ち入る勇気はなかった。  それならばと、わたしはすぐ隣にあるお寺のお堂へ駆け寄った。  とても古い木造建物だから、きのうのようなチカラがあるかもしれない。  お堂に触れ、「ステファン」と呼びかけた。  振り返ると猫が飛び降りて墓地へと猛スピードで逃げていくところだった。 「ああ! ステファン!」  慌てて後を追うが、わたしの足ではとうてい追いつかない。  猫は軽やかに垣根を越えて見えなくなってしまった。
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