第二十章 隠者の村

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勝也は当たり前の事ながら、それまで深く眠る女性の顔しか見てはいなかった。 こうして視線を向かい合わせながら、あらためてその顔を見詰めると、それまでは無かったまた別の感情が込み上げてくる。 この人はなんて美しいんだろう...... 過去にこんな綺麗な人見た事無いぞ...... 待てよ...... これはもしかして...... 牧子を失い、苦み抜いている自分を哀れんで、神がこの人を送り届けてくれたんじゃ無いのか! そうだ、きっとそうだ! 『恋は盲目』と言う言葉をよく耳にするが、アルコールが理性を喪失させるのと同じく、『恋』は時として善意を喪失させる。 エマと面を合わせてしまった勝也は、この時すでに『盲目』と化していた。 そして勝也は飛んでも無い事を口走り始める。 「おい、そんな水臭い話し方するのは止めてくれよ。お前......本当に俺の事忘れちゃったのか?」 まさか...... 老女は一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに愛想笑いで打ち消した。 「俺の事忘れたのかって......あなたは一体?」 エマは戸惑いの表情を隠せない。 「もう止めてくれよ。本当に記憶無くなっちゃったのかよ? 俺はお前の主人じゃないか。結婚してもう3年だぞ。悪い冗談は止めてくれ。頼むよ『牧子』!」 勝也は戸惑う女性に構う事無く、表情一つ変えず淡々と話を続ける。 「牧子......本当に俺の事覚えて無いのか?」 そう話した途端、突然勝也の顔が悲しみに包まれた。きっと彼にしてみれば、一世一代の名演技であったに違い無い。 「すみません......何も......覚えていま......せん」 エマは半信半疑のまま目を伏せた。 「おお......牧子!」 名役者は涙声でそう叫ぶや否や、エマの元に駆け寄り、どさくさに紛れてその身体を強く抱き締めた。
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