ワイルドさんとボードレールさん

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ワイルドさんとボードレールさん

『ちょっとー、ワイルドさん。また編集長との喧嘩?あのね、これから、日本人留学生の新しい入居者が、いっぺんに増えますから!子供もいるんですよ?口論、喧嘩の類は、外でやっていただけるかしら? …あと、あなた、何ヶ月間、家賃を滞納してると思ってんの?』 『…すんません。』 ワイルドは、堂々と立って見ている槇貝の姿が目に飛び込むと、 『あ…』 と呟いて、乱れに乱れた髪の毛を整えた。 その槇貝が、「何もかもお見通し」といった風情の顔つきをしながら、1歩、前に進み出る。 『ごきげんよう。あなたは、作家ですか?私たちは、日本から、フランスの制度や法律を学ぶために渡欧してきた、官僚です。所属は、司法省です。これから、こちらのアパルトマンに住むことになりますので、何とぞよろしくお願いいたします。 ちなみに僕は、シンイチロウ・マキガイと申します。』 『僕は、おっしゃる通り、作家でして、オスカー・ワイルドと申します。あの…僕のフランス語って、若干、訛ってますかね?』 ああ、とうなずき、槇貝は胸をそらす。 『「ドリアン・グレイの肖像」を、書かれた作家のかたですね?僕、原文で読みましたよ?大変、面白かったです。 …ワイルドさんは、社交界では「ヘンリー・ウォットン卿」、芸術家としては、「バジル・ホールワード」でいらっしゃる、つまり、ご自身の二面性のはざまに、主人公である「ドリアン・グレイ」が佇んでいるという、まるで「合わせ鏡」のような作品、と、僕は感じましたが。 …確かに、あなたのお言葉遣い、英語訛りが、若干、感じられるような気がします。』 『いや、正確に言いますと、英語訛りとも若干、違うんですよね。僕、実はアイルランド生まれでして、ダブリンのトリニティ・カレッジから、オクスフォードのモーダリン・カレッジに移った時に、僕自身の…まあ、1種のコンプレックスですかねぇ、アイルランド訛りを徹底的に消し、純正の英語を学び直しているんです。独学でね。その履歴を経て、フランスに来たので、アイルランド訛り英語が、さらに、訛ってしまっているという、まあ、こういうわけなんです。あ、僕の拙い作品を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 …よろしければ、今度、僕の行きつけのカフェでゆっくり、お話でもしませんか?』
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