「死の宣告」と「葬式」から始まる人生・槇貝慎一郎の事情

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数日後。 父親と母親の2人は、少し距離の離れた『槇貝家・本家』へと赴く。 油蝉の鳴き声が、まるで、狂気の演奏のように響き渡る。全く、頭のどうにかなりそうな暑さだ。 「ご当主様が、お待ちでございます。」 侍女が、そっけなく一礼し、その瞬間、母親の手から、容赦なく赤子を引ったくった。 父親と母親の2人は、大広間に通される。 壇上に、脇息にもたれながら、黒い和服をまとい、袴を着けた老人が座っている。 …暑さがこたえるらしく、しきりに扇子を使っている。 侍女が、頭を深々と下げ、うやうやしく、赤子を老人に差し出した。 「こちらが、後継の当主様でございます。」 老人は、ああ、とうなずくと、赤子を受け取った。赤子の扱いに慣れていないのか、と思わせるほどの、乱暴な抱き方であった。 老人は、素早く赤子の服をめくり、その身体に刻まれている、くっきりとした「痣」を調べる。 「おう、おう…!これはまた…!滅多に見ぬほどの、きれいな『印』が浮かんでおるわ…!」 老人は、きわめて満足げに笑った。 「占星術師に見せたがな、これは大器…!この『槇貝家』でも、そうそうは産まれぬ、空恐ろしいまでの大器じゃ…!何せ、あの『御一新(注:明治維新)』が起きたのでな…!国の成り立ちが大きく変わり、槇貝家はもはや、『江戸時代の遺風を未だに残すもの』として、完全に取り残された。また、情けない話を聞かせるが、わし自身の『器』の限界もある…!」 妙である。きわめて、妙である。侍女は平然としているが、彼女たちとて気づいているはずである。 そう。赤子が、このような見知らぬ部屋に通され、母親から引き剥がされ、あげく老人の胸のうちに抱かれながら、一切、泣かないのである。 笑っているわけでもない。声すら立てない。ただ、真剣な面持ちで当主を見上げ、じっとその話に聞き入っている(ように見える)のである。 「この赤子はな、明治の御世の数々の混乱と動乱をくぐり抜け、槇貝家をみごと統率し、政界・財界に、その名を轟かせることとなるであろう。お前には、大きな期待がかかっておるぞ…?わかるな…?」 老人が赤子の顔を覗き込んだ瞬間、赤子は真面目そのものの色を浮かべた、大きな瞳をぱちぱちとまばたいて、片手を高く差し上げ、 「あい」 と、大きな声で言った。 さすがに、侍女たちの間に、どよめきが走る。
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