新天地

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「祝園(ほうりぞの)紅葉(くれは)です。通り名はチョウオンナです」  私の教室での第一声だった。  担任教諭は目を丸くしていた。クラスメイトは大まかに「チョウオンナ」という単語の意味を量りかねて不思議そうな顔をしている者、心当たりがあるらしく周囲を窺う者、手のひらに忍ばせた端末でネットを検索する者と三つの反応に分かれ、いかにも興味なさそうに窓の外を眺めている子もこれといった反応を見せない子もいた。入学式後のクラス・オリエンテーションで行われた自己紹介でのことだ。関節補助装具を右足に着け、杖を突き、左目を眼帯で覆って教壇に上がった私の第一声がこれだった。 「予言の成就から逃れるためにここに来ました」  祝園紅葉の名も外見も私を縛るだろう。おかしな娘と思われることを承知で私は打って出た。  言葉通り、予言の成就は阻まねばならない。  なんとしても。  ごく短い自己紹介で済ませるべく教室を眺め渡し会釈をしようとしたとき、視線の束の中にひとつ静かな瞳があることに気づいた。  意思も窺えず、感情の揺れもなく、機械のような人形のような瞳。視線は正しくこちらを捉えているのに焦点は私を通り抜け、背後を見ている。そんな瞳だ。  ――なんだろう。  そう思った時にはあの感覚が私を襲っていた。  音が消えた。  無限回廊が現れた。  相手の瞳の中には私が映り、映り込んだ私の右目にはさらに私を瞳に映り込ませた相手が映り、と瞳の合わせ鏡が限りなく続いているかのような錯覚を覚えた。同時に相手が感じている今を私に伝え、私が感じている今を相手に伝えているとわかった。  ――ハモった。  声がハモるように、視線もハモる。単に視線が合うというだけではなく、何を思い感じているのかが互いに通じている確信の訪れだ。日常の中で声がハモったことも数えるほどだったが視線がハモるのはもっと少ない。  ハモったまま長い時間が過ぎたような気もしたし、一瞬のことだったようも気もした。意識の無限連鎖が解けても私は教壇に立っていて、クラスメイトたちが不思議そうな顔をしたりハモった相手を振り返ったりしていた。瞬間、というわけではかったらしい。  傍目には私はクラスメイトの一人を凝視して、固まっているように見えたのだろう。  担任の動揺しているらしい表情を横目に私は自己紹介を付け加えることにした。無難なやつをだ。
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