第一章

1/9
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

第一章

生まれてこの方、私は食にあまり関心がなかった。だって、放っておいても学校に行けば給食が出たし、朝晩は母の手料理が勝手に食卓に並んだ。母が作る手間なんて考えたことはなかったし、物の良し悪しも私には分からなかった。 「お前には、いい物を食べさせるだけ無駄だな」 父はよくそんなことを私に言っては、それでも知ることは大事なのだ、と多くのものを食べさせてくれた。それがどれほど今に活きているのかは計り知れない。そんな風に大人になってしまった。好物もあるけれど、さして興味のない食卓を毎日一緒に囲むような人が今の私にはいなかった。 「今日は…野菜炒めでいっか」 そう零しながら、昨夜も野菜炒めを作っていたことに気付く。適度に栄養は摂った方が効率がいいし、野菜は太りにくい。それくらいしか考えていないのだ。 「あ、仁(じん)くんに連絡しとかないと」 携帯を取り出して彼に電話を掛けた。明日は久しぶりに彼と出掛ける予定になっていた。 電話に出た彼は明日の待ち合わせの確認をスマートに済ませると、そこで奇妙なことを言い出した。たまには味わうデートをしよう、ということだった。味わうデートとはどんなものなのだろう。聞きかえす私に彼は、味わってみないとわからないよ、と答えた。それ以上、何も教えてはくれなかった。 電話を切ると、静寂が辺りを包む。すーっと足元が冷えていることに気付いて、エアコンのスイッチを入れた。 「もう秋なんだな」 つい先日まで夏だったような気でいたのに、余韻を味わうことなく肌寒さに意識をさらわれていく。こうやって、気付いたら大人と呼ばれる年齢になった。いつだって通り過ぎていくものは余韻など残さないのだ。その方がきっと潔くて、心地良い。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!