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多くの人々の愛情の中で鍾はすくすくと育っていった。寒い冬にも風邪一つひかず初めての正月も元気に過ごした。子供がいて、良き夫と経済的に余裕のある生活、実家も特に問題がない子玉の今の暮らしは幸福なのだろう。しかし、子玉は実感出来なかった。青郁がいない生活には、どれほど時が流れても馴染めなかった。
陽射しが暖かくなり、庭の桃の花が咲き始めた頃、内殿から李哥の家に使いが来た。子玉が王妃の御子の乳母に決まったことを知らせるものだった。農家の主婦に過ぎない子玉にとっては栄誉のことであった。夫も息子も実家の家族たちも大喜びだった。
――碧香さまと暮らせる!
知らせを得た時、子玉の脳裏に真先に浮かんだのはこのことだった。この間、ずっと望んでいたことが遂に叶うのである。それからというもの、この国の誰よりも御子の誕生を待っていた。
青郁は今日も抜書きを作っていた。子玉が妊娠した時は、胎教に関するもの、出産後は育児関係そして今は養生についてのものである。
「乳母として仕事が出来るように、体力をつけてもらわなくてはね。そうしないと一緒に暮らせないから」
抜書きと共に一文も添えて子玉に送ろうとした。
「そうだ、出仕する前に一度内殿にも来て貰おう」
文の最後にこの一言も付け加えた。
手紙を送ってからまもなく何と子玉が内殿を訪ねてきた。
内殿の外庭に出た青郁はすぐに子玉を見つけた。農家の主婦となっても相変わらず珠のようにまるい珠香だった。
「碧香さま」
駆け寄ってきた子玉は、青郁に抱きつくと人目も憚らずおいおい泣き始めた。
「碧香さま、会いたかった、会いたかった……」
「お母さんになった人が、そんなに泣いては駄目よ」
と言いながらその背中を撫でてやった。
「とにかく中に入りましょう」
「外部の者は殿内には入れないのでは?」
「珠香は乳母に決まったのだから外部の人間ではないわ」
こういうと青郁は子玉の手を掴んで門を潜って行った。
二人はある建物に入って行き、その中の一室の前で立ち止まった。
「申子玉が参りました」
青郁が中に向って声を掛けると
「入りなさい」
と中年女性の声が返ってきた。
碧郁は子玉と共に中に入った。
奥に座していた女性の前で二人は平伏した。
「お前が申子玉か?」
女性の問い掛けに子玉は
「はい」
と応えた。
「二人とも面を上げなさい」
二人が身を起こすと
「子玉よ、上着を取りなさい」
乳母としての適性を確認するのだろうと思った子玉は上着を脱ぎ、乳房を顕わにした。
女性は乳房に触れながら監察すると
「よろしい」
と言うとそのまま部屋を出て行った。
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