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あたしは席を立ち、寅吉の肩をつかんで立ちあがらせようとする。
でも、寅吉は動かなかった。
そして、こんなことを言い出したのだ。
「あやめさん、ごめんなさい。あなたにそんな思いをさせてしまったとは、本当に申し訳なかった」
「え、えぇ………?」
謝れよ、とは思ったけど、こんな謝り方なんて、これっぽっちも想像していなかった。土下座って、この目で見たの初めてだ。
当たり前だけど、ラウンジ中の視線が、柔道着で大理石の床に土下座しているこの奇妙な男に注がれている。
でも、なんだかもう、この一時間ほどであたしの神経まで麻痺してしまったようで。
見知らぬ他人からのぶしつけな注目に対して、何も感じなくなっていた。
それよりも、今は、この、目の前で床に額をこすりつけている変人だ。
寅吉は、床に向かって、もごもごと話しはじめた。
「俺は、なんていうか、すぐに、時間のことを考えるのを忘れてしまうんです。今日も、11時にここにって聞いて、午前中だから遅れたらいけないと思って」
「はあ……」
「いつもは陽がのぼって明るくなったときに起きるんですけど、今日は陽が出る前に目が覚めて、すぐに家を出て、始発の電車に乗って来たんです」
「ええと………電車は乗れるわけ?」
「いえ、あんまり好きじゃありませんけど、まあ30分くらいなら我慢できるので」
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