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餐叉に刺さった白い肉を、震える手で口元に近づける。
皇帝が太歳にかぶりつく。その間、徐福の使いが一瞬にして、煙のように忽然と姿を消したことに気付いた者は、誰一人としていなかった。
太歳の饗宴からひと月。秦都・咸陽を目指す道のりに、奇妙な一団が現れた。
始皇帝の車を取り囲むように、鮑魚(魚の塩漬け)を積んだ馬車が並走する。
それは始皇帝の遺体から発する死臭を誤魔化すため、李斯と趙高が取った苦肉の策だった。
一行が咸陽につくなり、末子・胡亥によって壮大な始皇帝の葬儀が行われた。
生前から数十年に渡って作らせていた広大な陵墓には、巨大な棺に納められた皇帝の遺体が、多くの殉葬とともに地下深くに埋められたという。
国中が喪に服す中、目の覚めるような青の衣を着た男がただ一人、華山の頂きからじっと都を見下ろしていた。
「不老不死、か。さぞかし甘味のある夢だったんだろうが……」
青錆と銅のまだら髪が、颪風に煽られひるがえる。
「夢が一番甘いのは、夢であるうちに過ぎない。そうだろう“始皇帝”?」
ぽつりと漏らした不遜な皮肉は、誰に聞かれることもなく風に掻き消える。
青衣の方士は踵を返すと下界に背を向け、山を下り始めた。
その後、始皇帝が統一した帝国はわずか十五年で崩壊する。
後を継いだ二世皇帝・胡亥の治世が長く続くことはなく、秦の軍勢は反乱軍に敗退を続けた。
前漢の初代皇帝・劉邦率いる反秦連合の軍勢によって咸陽は陥落し、紀元前206年、ついに秦は滅亡の途を辿った。
不老不死の霊薬を求めて海を渡った徐福の伝説は、中国のみならず日本各地でも現在に至るまで語り継がれている。
しかし徐福の使いと名乗った方士・拐の名や、彼が大陸に戻って始皇帝に「太歳」を献上したという記録は、いずれの史書にも残ってはいない。
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