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「あれから、赤ん坊の声がするっていう住人が続出して、どんどんここからは人がいなくなっちまってな。建物自体も老朽化してたから、もういっそ取り壊して、今度は駐車場にでもしようと思ったんだ」
疲れたような顔で悲しい話を語る男性に、俺は何と言っていいか判らず、ただ黙って暫くその場に佇んでいた。
その日からおよそ一ヶ月。家にいきなり電話がかかってきた。
相手はアパートの大家の男性で、何だかしきりにお礼を言ってくる。もちろんこちらは意味が判らないので理由を聞くと、アパートに行くとたびたび聞こえていた赤ん坊の声が聞こえなくなったと言うのだ。
あの時、赤ん坊の話をやけに素直に聞いてくれたなと思ったが、どうやら男性も、何度となく赤ん坊の姿を見たり声を聞いたりしていたらしい。でもそれが、俺が猫を探しに行った日以来、ぱたりと絶えたと言うのだ。
近所の人間だと名乗ったので、俺の特徴を聞き込み、お礼の電話をかけたと弾んだ声で言われ、俺はむずがゆいものを感じながらも、相手が喜んでいるならいいかと、お礼の言葉を受け入れて電話を切った。
そしてその後すぐ、足元にすり寄ってきた飼い猫を抱え上げた。
もしかして、あの赤ん坊が成仏したのはお前のおかげか?
父親にも母親にも大切にされず、放置のあげくに命を終えた。そんな悲しい赤ん坊を、お前の母性が包み、癒したのか?
我が子に向けることのできなかった深い深い母親の愛。相手が猫だとしても、それを存分に受けて、あの子は成仏したのだろうか。
だとしたら、お前のお手柄だな。
抱え上げた腕の中、にゃあんと鳴いた猫の顔が笑っているように見えて、俺もつられてにっこりと笑った。
母性…完
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