感慨深い

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43歳の時、私が働いていた鉄工所に8人のブラジル人が新しく入ってきた。日系人とその家族だった。1995年当時、ブラジル人が働く場所はかなりたくさんあった。私は鉄製造品の検査の仕事をしていた。外国人労働者たちは、日本人が敬遠しがちな仕事を請け負っていた。 彼はその8人のうちの一人だった。彼が私に話しかけてきたとき、明らかに10以上も年下に思える彼と仲良くなろうとは思わなかった。母の病気で実家に戻って、近くの仕事場で父母の介護をしていくつもりでいた私は、二度目の結婚を考えることはなかった。たとえ職場だけの会話にしたとしても、近寄らぬことが賢明だと考えた。 しかし彼は近寄ってきた。私は男に好かれたいと思わなかった。ずっと若いころからそうだった。付き合うのなんのと煩わしいことを、自ら求めて何になるとさえ思っていた。自分の時間が、男と一緒にいる時間に置き換えられるのを幸せと思えなかった。 では何故彼と付き合うことになったのかというと、捨てられて道端で泣いている子猫を拾って、一人で生きていくようにする気持ちと似ている、と私は思うのだ。大丈夫、生きていける、というところまで見ていなければならないような。 私はブラジルに48歳半で来た。それは彼が ”ブラジルに来てくれ。待っている” と言ったからなのだが、私はその時、自分を必要としているのならば成り行き上行かなければならないと思った。散々迷った。度重なる彼の言葉に、そうすることが私の進むべき道なのだろうと考えた。 でも残念ながら、言葉の多さと想いは関係がなかった。それから14年。彼と結婚し、10年後に別れた。今、彼は彼の最初の妻との間にできた娘と、この農場で仕事を始めようとしている。 昨日、養鶏の仕事を任せていた夫婦の最後の仕事だった。今日から彼らは歩き始めるのだと私は思う。この農場を経営できるように娘に教えていく。農場の仕事は女一人でできることではない。しかし誰を使えばいいか、どこに手配すればいいかを知っていれば農場を持って、そこから収入を得て暮らしていける。 とりあえず一区切りついたと思う。彼が、自分の仕事を子供に伝えていこうと思ったこと。人を使わず、自分でこの農場をやっていこうと思ったこと。私にとって、子猫が歩き始めたような気持でもある。 ここにいる間に、私は自分の時間をどのように使って生きていくかの準備をしなければ。
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