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「なに言ってるんだ、天下の医学部教授さんが、しっかりしてちょうだい」
「医学部教授か、重い肩書きだね、いやー重い重い」
「奥さんは元気か」
「ああ、元気ですよ、元気過すぎるくらいだ」
「あんな美人の奥さんもらっちゃって、妬けるね」
「美人がいいとは限らんさ、お前は面食いだからそれでいいかもしれんけどな、お前も呑めよ」
「勿論、美人がいいに決まってるさ」
主人も自分で獺祭をグラスに注いで一気に呑干した。
「ところで、店の経営はどうなんだ、あんまり客もいないようだけど」
「ふっ、ふっ、お前何にも知らないんだな、この店ネットで大評判なんだぞ」
「一体誰がこんな店にくるんだ」
「若者さ、お前んとこの学生も来るんだぞ」
「一体なにが哀しくてこんな店に来るんだ」
「見りゃ判るだろう、この古風な雰囲気がいいんだよ」
あたりを見渡すと、たしかに店内は木材を多用した時代がかった造りになっていた。
「こんなのがいいのかね、さっぱり分からん」
「お前のセンスでは無理かもしれんな」
「最近の若いやつの考えてることは分からんよ」
「なんだか疲れてるみたいだな、つぎの休みに釣りにでもいくか」
無趣味の大久保にとって主人に教えられた渓流釣りが唯一の趣味といえた。
「釣りか、そういえば随分行ってないな」
「じゃあ決まりだな、お前の車で行くんだぞ、高級車の方が乗り心地がずっといいからな」
主人は微笑んでグラスを空けた。
深夜、泥酔した大久保は帰宅した。どこをどう歩いてきたのか記憶がなかった。
「あなた、どうなさったの」
玄関に坐りこんでしまった夫に美由紀が驚いて言った。それほど泥酔した夫を見るのは初めてだった。
夫をベッドに寝かせ、不甲斐ない夫のことを考えた。
《あのひとどうしちゃったのかしら、あんなに酔ったのは初めてだわ、なにを悩んでいるのかしら。学部長の交代のことかしら、そんなことを気にするようでは将来が怪しいわ、あのひとを、父のように強くするにはどうしたらいいのかしら。なにかいい方法はないのかしら》
美由紀は日当たりのいい縁側で午後の紅茶を愉しんでいた。空の高みに浮かぶ夏を思わせる純白の雲を見ていると、遠い想い出が蘇ってきた。
彼女は大学一年の春を迎えていた。
「どうしたの、うかない顔して」
キャンパスのベンチで彼女は友人の久美子の顔を覗いた。
「なんだか憂鬱」
彼女とは同じ高校のクラスメイトだった。
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