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 ドラムバッグを抱えてバスを降りると、からりとした風が頬を撫でた。太平洋側で育った身には、内陸の夏の乾いた空気は特に新鮮だ。二〇〇七年八月十日、軽井沢駅には、曇天のなか、少し強めの風が吹く。  待ち合わせ場所を確かめようと、ひよりは手元のメモに目を落とした。駅から『翡翠館(ひすいかん)』への経路と、実におおざっぱなマップ。  ──十一時に軽井沢駅の新幹線改札口前。  右上がりのクセのある文字は、ひよりのものではない。高校の友人、常磐(ときわ)綾子(あやこ)のものだ。 「改札口……」  思わず口に出して、ひよりはすぐそこにある駅舎を見遣った。お気に入りの腕時計によれば、現在時刻は十時四十九分。待ち合わせには間に合う。  家を出たのは朝六時だ。普通列車と路線バスを乗り継いで四時間以上の長旅となったが、新幹線を使う余裕はない。今回の経路だって三千五百円もしたのに、新幹線の切符代は、その約二倍かかる。アルバイトもしていない高校生に、おいそれと出せる額ではない。  ひよりはお寒い懐に嘆息しながらも、改札口を目指す。ドラムバッグを担ぎなおして、駅舎の階段に足をかける。初めての駅だが、目当ての改札口はすぐに見つけることができた。だが、肝心の綾子の姿はどこにもない。  ──変だな。新幹線はたしか、十時五十一分着のハズなんだけど。  改札口の前で棒立ちになったひよりを、観光客たちがちらちらと見ては通り過ぎていく。人待ち顔で立っていれば、目につくものだ。  次の新幹線が到着するまで待とう。考えた、まさにそのときだった。 「ごめんね、お待たせ!」  甲高く甘ったるい声が耳を打つ。綾子が片手をあげて、笑顔でむかってくるのが見えた。  学校ではお下げにしている髪はふんわりと巻かれている。色白で小づくりな顔には化粧が施され、フレアスカートからはすんなりとした足が伸びていた。サンダルのヒールは高い。小柄な綾子なのに、視線の高さがひよりと同じくらいだ。かつんかつんとヒールを鳴らし、小走りに、でも上機嫌なようすでやってくる綾子を見て、ひよりは気後れした。  お下げで小柄でリスみたいな綾子は、清楚な女学生そのものの綾子は、どこへ行ってしまったのだろう? 「あ、ううん、ぜんぜん……」
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