十三

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「旧約聖書のモーセの十戒ですね。詳しくはありませんが、学校の宗教の時間に少しだけ習いました」 「あのなかに『隣人に関して偽証してはならない』とあるとおり、公の場で嘘をついてはならないものです。まして、こうした私的な場では、なおさら嘘などつけるはずもない」  公の場で。ひよりは、まるで自分の嘘を見抜かれたように、どきりとした。平静を装いつつ相手を観察してみて、ほっとする。別に、ひよりに向けたことばではないらしい。  しかし、どうして公よりも私的な場のほうが強調されるのだろう。水原司祭はひよりが疑問に思うのを知っていたかのように、たずねる前にみずから説明を施した。 「あなたは、親しいひとや大切なひとに、進んで嘘をつき、相手を騙したいですか?」 「──いいえ」  水原司祭の説明は、きわめて簡潔だった。それでいて、すとん、と、腑に落ちるものがあった。司祭とはこういうひとか、と、まじまじと隣に腰かける老人を見つめる。  カトリックの学校に通ってはいるが、ひよりの日常に、司祭の姿はない。ひよりにとって司祭とは、学期に一度は執り行われるミサと呼ばれる典礼の際に、どこかの教会から招かれてくる存在だ。こうして間近に話すのは、信徒でもないひよりには、ほんとうに初めてのことだった。 「あなたは大切な友人である治五郎氏の孫娘です。私は、決してあなたの前で嘘をつきたいとは思いません」 「ありがとうございます」  はじめ、他人行儀に『恐れ入ります』ということばが口をついて出そうになって、あわててあらためた。そんなひよりの感謝に、水原司祭は複雑そうな表情を浮かべた。 「嘘はついておりません。ただ、これ以上、私が口にしてよいことばがあるとは思えないのも、真実なのです」  ふくみのある言いかたをしたときだった。女性がひとり、飲み物を持って、ひよりと水原司祭の前に立った。  ひよりの母くらいの年代、おそらくは五十代の小柄な女性だった。白髪染めされた短髪は、軽くパーマをあてられ、派手な模様の赤いスカーフに隠されている。ふっくらとした頬は少し垂れ気味で、目尻には笑いじわが刻まれている。パールのチョーカーを首に巻き、紫のレースのショールを肩から纏い、黒のワンピースに身を包んでいる。見るからに『マダム』といったことばの似合う風体だ。
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