十三

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 ひよりのキリスト教に関する知識はたよりなくうっすらとしたものだったが、おそらくあの子どもは、幼子イエスをあらわしているのだろうと見当がついた。つまり、こちらは聖母像ではなく、正しくは聖母子像と言ったほうがよい代物なのだ。  聖母のほうだけをとって比べれば、翡翠館のものと非常によく似た立像であることはたしかだ。両者の相似は、それほどおかしなことではない。生前の治五郎はこの教会に通う信徒だったのだから、教会の聖母子像に影響を受け、自身の屋敷の礼拝堂前にも、わざわざ似たポーズのものを探して、または作らせて、聖母像を設置したのだろう。礼拝堂は移築当時のものだろうが、外にある聖母像は年代が異なると、遊佐も言っていたではないか。信徒が、自分の通う教会にあってふだん見慣れているスタイルの聖母像を選ぶのは、ごくごく自然なことのように思われた。  と、理論立てて考えるまではできた。だが、こころのほうはと言えば、まるで頭には追いついていかなかった。  また、あの耳をつんざくような悲鳴が耳によみがえってきそうになる。恐ろしい声で叫びながら、じわじわとひよりのもとへと迫ってくる聖母像の姿が、脳裏からうまく消し去れなくなる。ひよりは両てのひらで耳をふさぎ、まぶたを固く閉じた。  ──来るな来るな来るな。  念じるようにこころのうちでくりかえしているうちに、車の振動はやんでいた。  おそるおそる目を開く。耳からも手を離す。車は、翡翠館の前庭に到着していた。運転席で、遊佐が柄にもなく沈黙を守って、ひよりのことを待っていた。 「す、すみません! あのっ、今日はほんとうにありがとうございました。いますぐ降りますっ!」  あわててまくしたてるように礼を述べ、助手席から飛び降りる。遊佐の反応はあいかわらず薄い。ひよりが翡翠館に戻ろうとした、その矢先のことだった。  視界に、白いものが映った。助手席のドアを開け放したままだが、ひよりは反射的にそちらを振りかえった。そうして、喉をひきつらせる。 「ひ……」  その声は、遊佐には聞こえただろうか。いや、あまりに小さくて聞こえなかったはずだ。
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