十三

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 ひよりの視線の先には、水のとまった噴水があった。この翡翠館にやってきたときは、滔々と流れる水が陽光を跳ねかえし、白く光っていた。昼は水をたたえているが、夜には水がとまるようなしくみなのだろう。そのことにも、別にいま気がついたわけではない。昨晩、夜間の静けさのなかで勘づいてはいた。けれども、あれは──  噴水には、教会で目にしたものとそっくりの幼子イエスの像があった。初日に見たときは、それがイエスだなどとは思いも寄らなかった。裸体ではなく、着衣の像はめずらしいとはよぎったかもしれない。ひよりの記憶がたしかなら、日中は両腕を水平に広げたイエス像の足元から、泉の湧きでるように水が流れでていたはずだ。  子の手を取る慈愛に満ちた聖母から、わざわざ子どもの像を引き離すあたりが解せなかった。なじみのスタイルの聖母子像として、素直に引き写しにすればよいものを。どこか、悪意を感じずにはいられない。  ひよりは言いしれぬ寒気を感じて、自分の二の腕を抱いた。そうして、気がつく。  ──ジャケット、借りたままだった……。 「遊佐さん、ごめんなさい。お借りしたジャケット、間違って持っていっちゃうところでした」 「気にするな。今日はそのまま着ていけ。返すのは明日でいい」 「そういうわけにはいきませんから」  肩からジャケットを落とし、軽くたたむようにして腕にかけ、車内の遊佐にさしだす。遊佐は浅いためいきとともにジャケットに手を伸ばし、受けとった。だが、品物を受けとったにもかかわらず、遊佐の視線はいまだにひよりの腕に向けられている。 「悪寒は?」 「ありません。だいじょうぶ、風邪なんてひいてません」 「だが、その腕……」  言われて、車内灯の下で見てみると、ひよりの両腕にはびっしりと鳥肌が立っていた。これが寒さから来るものではないことは、自分がいちばんよく知っている。けれど、幽霊だとかおばけだとか、翡翠館の彫像の配置に感じる悪意だとか、不確かなものの存在を口にして、はたして信じてもらえるだろうか。一笑にふされるだけなのではないか。  遊佐に笑われたら、きっともう、他のひとにだって助けなんて求められない心地になる。 「これは」
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