十四

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 遊佐が生まれ育ったのは、岩手県の沿岸にある町だった。ごく小さく閉鎖的な田舎町だ。  遊佐の家は江戸時代中期から代々、寺の住職を務めてきた。遊佐の父もまた、祖父から寺を受け継いだ。そして、その寺を、さきごろ遊佐の兄が継いだ。遊佐は次男坊で、端から寺とは縁がなかった。  母は他寺の娘で、父とは見合い結婚だった。物心ついたときには夫婦仲はよいとも悪いとも言えず、家のなかにはいつも森々とした空気が流れていた。  原因は、すべて遊佐にあった。  祖父も父も兄も、みな色黒で頑丈そうなからだつきをしており、顔立ちも黒々と太い眉と意思の強そうな目が特徴的だった。母も凹凸の少ないのっぺりとした顔で、一重の切れ長の目と薄いくちびるをしたたおやかな女性だ。けれど、遊佐はひとり違った。  赤ん坊のころは、それこそ西洋人形のような顔をしていたのだと、母は遊佐を膝に乗せてはくりかえし語ってきかせた。その苦いもののまじった声音を、遊佐はよく覚えている。  家族や親戚、近所のひとびとや檀家のだれもが、表立って口には出さねど、遊佐を異質なものと思っているのは、あきらかだった。腫れ物に触るような扱いを受けることもしばしばだったが、そんなとき唯一、かばってくれたのは、四つ上の兄だった。  大人の視線は、子どもにも伝わる。小学校にあがると、遊佐は『寺の子のクセに外人みたいな面してやがる』と、よく同級生にからかわれた。兄が小学生のうちは守ってもらえたが、兄が中学校にあがると、とたんにたがが外れたようにからかいはエスカレートして、ほとんどいじめのようになった。  小学校四年生の秋のことだ。友人もない遊佐を見かねたのだろう。父がとつぜん、遊佐とふたりで旅行に行くと言いだした。行き先は神戸だと言う。そのことに、二度驚いた。なぜなら、その年の一月に大震災があったばかりの土地だったからだ。  行きの列車のなかで、詳しい事情を聞いて、遊佐はやっと合点がいった。  父には、神戸に知り合いがあったのだ。一家は、被災はしたものの、さいわい大きな怪我もなく、ただ住む家を失ったかたちだった。家は借家だったが、一家には乳飲み子があった。一家の大黒柱たるその知り合いも、職業は学者とあって住む場所にはある程度自由の利く仕事だったので、一家を寺に招くのもひとつだと、父はかねてから誘いをかけていた。
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