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姫は僕を容易に受け入れぬからこそ貴く清らかであるのに、逢瀬を重ねる仲などになってしまったら、忽ちその意味を失うてしまうではないか……。
否、あの姫なら逢瀬を重ねることで僕の身も心も浄化させて救ってくれるはず。
僕の葛藤は日ごと夜ごとに激しさを増し、ついに僕は姫を試す決意を固めた。
入内を控え慌ただしい邸内に忍び入り、女房の手引きで姫の寝所へ。
姫ははらはらと涙をこぼし、入内などしとうないと僕に小さき手を伸ばした。
愛しい姫の願いとあらば応えぬわけにはいかぬではないか。
僕は姫をさらって逃げた。
都の外れにあり別邸めざし牛車を走らせた。
姫は僕の懐で目を閉じ、幸せそうにまどろんでいた。
寝顔をしげしげと見つめるうち、僕はなぜこのような大それたことをしてしまったのだろうと思いはじめた。
よく見ると姫は平凡でどこにでもいそうな乙女である。
僕が送った歌に比べると姫の歌は拙く、それが擦れていない証しのようで貴く感じていたが、一つたりとも覚えておらぬ。僕の心に響く言葉がなかったからではないか。
僕を、僕の中の僕が裏切った。
大臣の愛娘、もうすぐ入内する、恋の手管を知らぬ姫。それらの事柄が僕に夢を見せたのだろう。
汚れていないのは今まで僕のような悪い男の手にかからなかっただけ。
この姫のために帝を裏切ったとしても、僕は浄化されることも救われることもないであろう。
眠りこんでいる姫を置いて、僕は牛車を出た。
従者に命じて大臣邸へ引き返させる。松明の灯りが遠ざかっていくのを、じっと眺めていた。
やがて、星のない夜が真の闇で僕を包みこんだ。
なにがしかの噂が流れたようであるが、姫は予定通り入内した。
僕はというと、なに一つ変わらない日々の中で汚れ続けているばかりである。
苦しみは相変わらず僕を苛んだが、夢などもう見ない。
他人がうらやむほど満ち足りてなどいない。
僕の前には闇路往くような日々しかなく、それは地獄へ続いている。
ただそれだけのことであった。
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