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この日は帰宅して、少しだけ明日からの仕事の準備をした。室長に渡す書類だけでも。
時計を見ると、10時だ。『まだいいかな』滝沢さんは独身だと聞いているし。
私は持ち出し禁止のファイルから、滝沢さんの自宅の電話番号だけをメモしてきた。
今さら意思確認なんて意味無いとも思えるけど…滝沢さんとは話さなければいけないような気がしていたのだ。
数回の呼出音のあと、『滝沢です』という聞き慣れた声が応えた。
「松浦です。こんばんは」
滝沢さんは、『…松浦さん?』と言ったきり無言になった。
私は息を深く吸い込んで話し出した。
「滝沢さん、夜分にすみません。私、責任者なので、滝沢さんの退職についてはきちんとした報告をしなければならなくて」
少し間を置いたが、返答がなかったので構わず続けた。
「派遣会社にはもう話しましたか?」
「…まだです。担当者が年末から休んでいて…明日には話せます」
滝沢さんが話し出す前、深呼吸のような息を吸い込む音が聞こえた。彼女も緊張しているのだろうか。
「そう。では、辞める気持ちは変わらないんですね?」
「えぇ」
「分かった。それなら会社のことはこれで」
「え?」
滝沢さんにとっては意外な話を一つしようと思っていた。
彼女は、事務的な問い合わせぐらいは来るだろうと思っていたかもしれない。例え思っていなかったとしても、この話以外に話すことなど、あるわけないと思っていたはず。
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