9.収束

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トイレに着いた途端、みちるは大きく息をついた。 「良かったぁ、松浦さんと会えて。ここまで来たら大丈夫です。ありがとうございました!」 と笑顔のみちる。 私は替えのストッキングをみちるに手渡した。 「返さなくていいよ」 みちるは一度遠慮はしたものの、受け取ってくれた。 「慌てて履かないで。ゆっくり来ていいからね」 ポンと肩を叩いて、先に行ってるねと言って会社へと急いだ。 ストッキングの替えぐらいは常にバッグに入れておきなさいと、母から口やかましく言われ続けた結果、朝、ストッキングを履く時に必ずその言葉を思い出す。 『おんなの嗜み』なのだと、母は煩かった。 他に、小さなソーイングセット、タオルのハンカチといわゆるハンカチーフと2種類持つべき。ティッシュは人にあげる場合も含めて2個。生理用品はなってなくても持ち歩き、最中なら替えのショーツも入れておくべき。天気予報で30パーセント以上なら折り畳み傘、等等。 お陰で私のバッグは常に重たい。 この、母の呪縛から逃れる術はなかった。反抗して荷物を減らしても、結局のところ気になってしまうのだ。少なからず、持っていることで自分だけでなく誰かが助かったという経験もあって。 持たないことで不安に感じたり気にするぐらいなら、思い出したら持つと決めたのだ。 そのお陰で、今日思いがけず、みちるにあの時の罪を償う機会を得られた。何事も、人生には無駄がないということなのか。 会社へと急ぎながら、私は気持ちが充足していく気分を味わっていた。 『みちる。あの時はごめんね。そして、ありがとう』 オフィスに室長の姿は既になく、会議は予定通り始まったことを物語っていた。 「あ、芽衣子さん。おはようございまぁす。今朝は大変でしたねぇ」 私は上着も脱がず、素早くパソコンを立ち上げながら、 「うん、大変だった」 とだけ答えた。 ババッとメールをチェックし、急ぎはないとみて、すぐさまどうでもいいファイルを引っつかみ、慌てて会議室へ向かう。 ホワイトボードにはなんて書こう、と迷っている暇はなかった。もう会議開始から15分以上は経過していた。
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