1.厄日

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私は自分の空のジョッキを置くと、素早く本部長のグラスにビールを満たした。 「芽衣子君、お代わり頼みなさいよ。きみぃ!」 後の言葉は店のスタッフに向けてだった。 私は恐縮気味に、頭をペコペコさせていた。 「芽衣子君、四方堂君とは同期でなにかと親しんできたのだから、結婚式の二次会、是非とも幹事役をやってよね」 本部長がそう仰るなら決定事項ですね。はい、やらせて頂きますよは、私の心の声。 「でも、同期に先越されちゃおもしろくないよなぁ」 ここで室長のチャチャ。 はい、ここでもその線に乗っかりますよ。 いいように言われ、調子を合わせていた。でもさ、私ってそれ以上の話題を振れないほどのつまんないヤツなんだ。 思えば、新人の頃から、飲み会となれば、私の失敗の尻拭いをよく酒の肴にされたっけ。 特に本部長。 本部長はすごく厳しい上司だ。四方堂君がいつか話していたけど、本部長の厳しさに愛を感じるとか。 はぁ?私は感じてませんけど?四方堂君ってば、なに心酔しちゃってんのと、あの時は呆れた。 50代後半。仕事はできる。強面。体格はかなり良い。上背もあって、なかなかな迫力の持ち主だ。柔道だか空手だかをやっていたとか。 怒ると顔が真っ赤になる。女子社員を名前で呼ぶ時はかなり機嫌が良い。(早川先輩談) 「芽衣子君、昨日今日と、君なりの頑張りが見えるが、なにかいい事でもあったのかな?」 えぇ…よく見てる。どこで見てるんだよぅ。 「いい事なんてないです。逆ですよ」 すると、隣の室長が、達観した顔つきで口を挟む。 「本部長のドヤシが効いたんでしょう」 『…その通り、読まれてる…悔しい』 「そうか?殊勝なことだな、芽衣子君」 「恐縮です」 私はもう、届いたジョッキのビールを勢い良く半分ばかり飲み下した。『正気でなんかいられないよぉ』
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