1.厄日

5/38
前へ
/310ページ
次へ
私はようやくバスの後方に辿り着いたというのに、ブルンとエンジンが鳴き、バスはゆっくり動き始めた。万事休す。 そう思った時、キィーと高音のブレーキ音が鳴り、前の乗車口がバタンと開いた。私は反射的に素早く乗り込むと、荒い呼吸のあいだから掠れた声で運転手に礼を言った。 『間に合った…良かった…』 私は、運転手のすぐ後ろの吊革に捕まって呼吸を整えた。 ふと、視線を感じ真横を見ると、車両の真ん中辺りで、最後に乗り込んだ大学生風の男子が面白そうに私を見ていた。 『はいはい、面白いよね。アラサー女が全然ちゃんとしてなくて、こんなにみっともなく駆けたりして。よく分かってる…だけど、今日は絶対に遅刻したくなかったのよ』 最寄りのJR駅に到着した。相変わらずパンプスの中までずぶ濡れだったけど、さっきまでいたバスの中は暖かだったし、電車の中もきっと暖かいだろうから、乾かなくても風邪をひくことはないだろうと思った。 20数分電車に揺られ、着いたのはJR神田駅。駅徒歩5分。中 規模の商社。自社ビルではなく、7階建てのビルの6・7階。私の部署は6階だ。 入社8年目でずっと同じ部署にいる。 長いだけあって昨年春に一応、主任という肩書きが付いたが、後輩と派遣社員の取りまとめ役に過ぎない。単なる名目なのは周知の事実だった。 オフィスに着くとすぐ切り替える。 「朝礼へ」 同僚達への声掛けは私の役目。 普段より大幅に遅れてきた私に、隣席の後輩あや美が驚いている。 「芽衣子さん、どうしたんですかぁ?」 目をまん丸にして聞いてきた。 「ミーティングルーム、行くよ」 私は返事の代わりにそう言って、必要なものを手にして先に歩き出した。
/310ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加