私はやっていこうと思うのです

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私は60にもなって、ブラジルに一人で暮らすことが悲しいのだろうか。そうだ、ともいいやとも言えない。悲しいとすれば、彼はとうとう私が言わんとすることを受け入れなかったことかもしれない。悲しくないとしたら、一人でいることを望んでいるからだろう。 日本で暮らしていた48年と半年。言葉に困ることもなければ、便利な暮らしに感謝もしていた。時々会って話し合える友達もいた。会おうと思えば会える兄も弟もいた。様々な手続きも一人でできた。 それら一切が無くなった。それでも一人で生きていこうと思っている。インターネットの発達のおかげで、兄弟と話すことも簡単にできる。友達とも年に数回話をしている。不便にはもう慣れた。言葉が自由に使えないことは、これはもう何回もめげずに相手に伝わるようにやってみるしかないと心に決めた。 私は朝4時半に起きる。コーヒーを作り、体の柔軟性と、筋力を維持するため体を動かす。牛舎の準備をし、元夫である彼が来たらコーヒーを飲んで搾乳の仕事を一緒にする。8時ごろ終わり、それからは自分の時間である。パンを作ったり、ケーキと焼いたり、犬たちの食べ物を作る。 夕方4時ごろ牛の仕事をする。その時に農場の草取りなどもしておく。彼は午前の仕事が終わったら産まれた子供とその母の家へ帰る。午後3時か4時頃またやってきて、仕事が済んだら家へ帰る。こういう暮らしがすでに10か月続いている。 別れたのは3年半前で、別居は3年を過ぎている。なんとも不可解な状態である。 別れたとき、やっと一人になれたと思った。でも日本での年月を入れて15年以上そばに居た彼の身の回りのことが気にはなっていた。それが10か月前、突然あなたの子だよ、と彼の娘を産んだ女が彼の世話をすることになった。これで唯一の気がかりが無くなった。 そばに誰かいたほうが心強いし、便利でもある。多少自分の想いとは違っていても、誰かを身近に置いておくというやり方もあるだろう。その安心よりも気持ちの自由のほうがいい。 ひょっとして通じてくれという期待をもう持てなくなったための諦めなのかもしれない。だとしても、私は自分でやれるだけはやったという気持ちを持っていて、残念な想いはない。 彼の農場で、今私がしている仕事、彼の娘がこの農場を管理していけるようになるように手助けしていくこと。そしてもっと自分の時間を充実させていきたいと願っている。
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