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私は、ただそこに有った。
理不尽にも私はそこにあるしかなかった。
足元をちょろちょそと灰色が蠢く。
げっ歯類。私とは確実に違うものである。
私とは違う。違わなくてはならない。
そいつが自慢げに何かを見せびらかす。
赤く、小さく、甘く香るそれは。
さくらんぼ、だ。
久々に見たな。とても赤い果実は春を思わせる。
私がそれを認識したことに動物は満足そうにニタニタと笑う
薄汚いネズミ。目ざわりなネズミ。
ただ、ニタニタと笑う。見てるものを不快にさせるように笑う。
笑う。笑う。どうもドロドロとしていて、吐き気を覚える。
この実が欲しいか?
そう言って、その果実を見せびらかす。
赤色はふわり香る。甘さを輝かせるように。
欲しいなら手を伸ばせ。すぐに手に入るぞ。
私は無視する。無視しなくてはならない。
すぐに手に入るわけがない。自分に言い聞かせた。
それは食べてはいけない。禁断であるものだと知っていた。
それを食べればこの汚らしいネズミと同類になってしまうのだ。
それだけは嫌だった。私は人間としての威厳を保ちたかった。
それは虚栄だね。ネズミは笑う。
どうしてそうも見栄を張る?ネズミは笑う。
もっと本能に素直になりなよ。ネズミは笑う。
笑う。笑う。歪む口。歪む視界。
歪んでいる。おかしい。このネズミたちはおかしい。
私は人間。おかしくない。
しかしネズミは世界に溢れている。
外を出たなら。右にもネズミ。左にもネズミ。
おかしい。世界がおかしい。
私とは違いすぎるものどもで溢れかえっている。
どれも下劣を極めていた。まるで私だけが異端のように。
いつから世界は薄汚い色に染まっていた?
私は自分に引きこもる。
自分しか引きこもる場所は無い。
だが、来る日も来る日もネズミはその果実を見せびらかす。
見せびらかす。見せびらかす。
鬱陶しいはずなのに。
目障りで、心地悪くて、嫌悪を覚え。
私はそこまで堕落しないと、強く自分を叱咤する。
なのに、どうして
どうしてこうも私は揺らぐのか。
わかっているはずだろう。君はそこまで強い存在じゃない。
ネズミはニタニタと笑う。
知っている、私は何よりも弱い。
このネズミ達よりもずっと弱いのだ。
周りにはネズミしかいない。
元々味方などいない。すべては一人の舞台。
当然にも私はネズミを一掃する術など持ち合わせていなかった。
誰が誘惑に勝てるなどと?
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