今日の夕ごはんは……

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「さーて、どうしようかしら」  定時に仕事を片付け、会社の入っているビルから出て来た早紀の頭を占めていたのは、夕ごはんについての綿密な考察だった。アパートに帰っても、待っているのはほとんど空っぽの冷蔵庫だけ。今から材料を買い揃え、料理に取り掛かるのは面倒だった。外食なら楽だけど、お給料日はまだ十日も先だ。大きな出費は避けたいところだった。  駅につながる通りを歩きながら、あれこれ思いを巡らせる。駅までの半分ほどを進んだ時、一軒のお店が思い浮かんだ。四、五日前に見つけた和食屋さん、と言ってもメニューはたったひとつ、ふわふわの玉子が乗った玉子どんぶりに味噌汁とお漬物のセットだけ。でも、その玉子どんぶりが絶品だった。  ふわふわの玉子は口に入れるとほろほろと崩れ、濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。あつあつのごはんにはお醤油と鰹節が混ぜられていて、玉子と合わさってちょうどいい塩加減。噛んでいくうちに、ごはんから湧き起こる甘みが加わって、玉子、お醤油、鰹節、ごはんが渾然一体となったシンフォニーを奏でる。アクセントが欲しいときはお漬物を乗せて……。  思い出すだけで口の中がじゅわっとしてきて、夕ごはんはそのお店に決めた。お野菜も欲しいところだけど、お漬物があるからいいことにする。  早紀は、進んできた通りを少しだけ引き返して、細い路地に入る。小さな商店が並ぶ路地は、学生さんや小さな子供を連れたお母さんたちでにぎわっていた。玉子どんぶりのお店はその先にある。  路地を進み、お店の前にやって来た時、扉が開いて中からお客が出て来た。 「ごっそさん」 「ありがとうございました」  白い上着の料理人がにこやかにお客を送り出す。年恰好は三十前ぐらい。前に来た時は調理場でお店を仕切っていたから、ここの店長なのだろう。  店長はお店の外に出て来て暖簾に手を伸ばした。外そうとしているみたいだ。早紀はあわてて声をかけた。 「ちょっとぉ、まだあたしがいるんですけど」  店長は暖簾を手に持って、困った顔をした。 「すみません、今日は仕舞いです」 「まだ六時前でしょ、早過ぎよ」 「食材が尽きてしまって……」 「食材?」 「特別な卵です。うちの味を出すにはそれが無いと」  店長は店の中を振り返った。 「もう卵は無いよな」 「まだ残ってますけど」  店員から返って来た言葉に店長は顔をしかめた。
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