第1章

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帝(みかど)から安倍晴明(せいめい)にお召しがあったのは、春も終わる頃。 桜はとうに散り、吹く風は暖かいというよりは爽やかと感じられる季節になっていた。 清涼殿に着いた晴明が殿上の間に入っていく。櫛形窓の向こうから女官達の囁く声がする。 「ほら、あれが今うわさの安倍晴明さま」 「まぁ、なんと凛々しい殿御振り」 「あの背の高いこと」 「目じりの黒子(ほくろ)が愛らしい」 浅緑の束帯に包まれた長身がゆっくりと歩みを止める。 ……愛らしいとは恐れ入るな。 思わず指を目元に持っていくと、ざわめきが高まった。 「あれ、あちらに聞こえたような」 「恥ずかしいこと」 一段高い処にある櫛形窓はこちらからは覗けないと分かっていて。くすくすと笑い崩れる声がまったくもってかまびすしい。 「晴明!」 殿上の間の入り口から彼を呼ぶ声がした。見れば源博雅(ひろまさ)だ。 冠から覗く黒鳶色の髪が黒い束帯の姿を優しげに見せている。近寄って覗き込めば 、その瞳も少し色素が薄い鳶色だ。 博雅様だわ、と声が高まる。 「あの方にまでお目にかかれようとは、今日はなんと良い日でしょう」 「しっ、うるさくてよ」 晴明とは異なって、博雅は生まれも育ちも尊い血筋。あだや女官の噂話などを耳に入れていい御人ではない。 博雅が歩んでくると途端に声がひそまった。 「帝のお召しか?」 「まあな」 息を潜めながらもこちらをしっかりと伺っている女官達の気配に、晴明がにやりと人の悪い笑みを浮かべた。 「……博雅」 声を落として呼びかける。 「何だ?」 晴明の漆黒の瞳に悪戯っぽい光が宿っているのにも気づかずに、博雅が顔を近づける。 内緒話でもするかのように、晴明がすいと耳元に唇を寄せた。 窓の向こうが一瞬静まる。 ―――耳朶に、ふっと息を吹きかけられて。 「……なっ」 首筋まで真っ赤になった博雅が、耳を押さえて後ろに飛び退る。 晴明ッ!と怒鳴ろうとした声を、きゃあああぁっという窓越しの叫びに遮られた。 「まあ、あれ、あのように!」 「なんと目の保養!」 きゃあきゃあと身悶えて喜ぶ女官達の声に、窓を見上げた博雅が呆気にとられる。 「あ、おいっ」 立ち竦む博雅を残して晴明がすたすたと歩み去っていく。薄情な友人の後を、博雅が慌てて追いかけた。 「おまえっ、何するんだ!」
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