第1章

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追いついて横に並んだ博雅が小声で文句を言う。まだ赤いその顔を横目で見て、晴明がくすりと笑う。 「ゴミ、ついてたんだよ」 真面目な顔でさらりと言ってのけられて、博雅が何も言えなくなった。 さて、帝の御前。 孫庇(まごひさ)しに控えた公卿の一人が説明するには、唐渡りの馬の鞍に変事があるという。 運ばれてきた長持の中から取り出されたのは、木製の古びた鞍。年月を経て飴色になった木肌、くすんではいるものの手の込んだ銀の飾りがついていた。 一目見た晴明の瞳が細められる。 「親王が宝物倉の中からこの鞍を見つけられての。お乗りになりたいと申されたのじゃ」 雑色(ぞうしき)が鞍をつけて試し乗りをしてみると。鞍を付けた馬が怯えるのが、そもそもおかしかった。 なんとか宥めて馬を走らせてみる。 すると。 いつのまにか後ろに人が乗っている。自分の腰をひやひやとした腕で抱いてくる。 わあっとばかりに叫んでも、馬は止まらぬし鞍からも降りられず。そのまま藪に突っ込むまで走り続けた。 叱責された雑色が唇の色を無くして、後ろに人が、と言うたが周りの者には何も見えぬ。ばかなと試した別の者も、馬が倒れるまで走りつづけてから顔を青くして降りてきた。 こんな鞍は捨てたがいいと言うのに、話を聞いた親王が物好きにもわざわざ持ってこさせた。 豪胆で名を売る親王だ。何を下らぬことをと、笑い飛ばして鞍に跨った。 ひゅんとばかりに飛び出した馬は手綱を引いても止まるものではない。泡を吹いて走りつづけた。 親王の手綱使いが巧みなのが、かえって仇となった。ようよう自ら止まった馬に雑色達が近づいてみると、馬の背に伏した親王は虫の息。そのままどっと床に臥してしまった。 「親王を助けられぬか」 御簾越しのやんごとなき声に、控える殿上人が平伏する。 「失礼」 進み出た晴明が、長持ちと鞍に手を触れる。長持ちには剥がされた札の跡があった。 「この鞍、封じられていたのではありませぬか?」 「親王自らお開けになったとの事じゃ」 公卿の答えに晴明の眉が寄せられた。 ……封じてあったものをわざわざ破るとは、酔狂にも程がある。無知は罪だな。内心で呟く。 「何が憑いているやら分からぬが、主(ぬし)の術で祓うてみせんか」 意地悪気に公卿の一人が言ってくる。 「このままでは祓う事あいかないませぬ」 正面を見据えて、晴明が口を開く。
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