第1章

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北斗に跨った博雅が、承明門を抜け、建礼門を出る。 走り出してまもなく馬の様子が変わった。 息が浅く荒くなり、瞳に怯えた色が混じる。 「北斗、案ずるな」 博雅が腕を伸ばして首を撫でる。朱雀大路を走り抜けて、羅城門を出た時に。 ふっと、後ろから腰にひやりとした手がまわされた。 無骨な男の手。指に細い銀の輪が光る。 「……誰ぞ?」 怯える風もなく、博雅が前を見たまま問い掛ける。 ……鞍作りの馬飽(マーパオ)、とかそけき声がする。 「まあぱお?」 異国の人か、と博雅が思う。 「私は、博雅」 ……ひろまさ、とうっそり呟く声。 「なぜこの鞍に憑いておる、馬飽?なぜ親王をとり殺す?」 馬を走らせたまま、博雅が背中に問いかける。 ……わが愛馬を奪うものは許さぬ。 「笑止。北斗はわが馬なり」 馬が怯えて嘶くのを、博雅が宥める。 ……われを殺したな。 軋るような声がした。 途端に腰に回った腕が恐ろしく重くなった。どっと冷気が染み込んでくる。 じわじわとその腕が上がり、博雅の胸から首へと這い登っていく。 「……ッ!」 不意に冷たい掌でその目を覆われた。驚愕の叫びを呑み込んだ博雅が、反射的に引こうとした手綱を意識的に緩めた。 突然目の前に暮れなずむ草原が広がった。 どこまでも続く草の海を、馬と一体になって走っている自分がいる。 そのすぐ後ろを別の馬が走っている。ひどく懐かしく慕わしい誰か……。 と、風の向きが変わり、物の燃える異臭が鼻をついた。はっと見上げる夕空に昇る黒煙。 ……兄者ッ! 背後で叫び声が上がる。馬の前に、ばらばらと鎧を付けた兵士が飛び出てくる。 ……馬と鞍を奪えッ! 突き出された槍に脇腹を突かれる。激しい痛みに息が止まる。どうっとばかりに地面に引き倒されて。 これは自分の見ている風景ではないと博雅は気づいたが、もはや感覚が同調してしまっていた。 嘶く愛馬が連れ去られる。霞む目で見上げれば、空を覆う真っ黒な煙。 村が、焼かれている。 頬を伝う涙を感じる。これも馬飽の流した涙だろうか? ……いや、あの時俺は泣かなかった。辛くて苦しくて涙なぞ出なかった。ただ悔しくて、ただ憎くて。 ―――愛馬の鞍に憑く怨霊となってしまった。 馬飽の想いが流れ込む。 ……泣いてくれるのか、ひろまさ。 不意に視界が戻ってくる。 眼前にはなじみのある春の風景。その中を猛った馬が疾走する。
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