第1章

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ふと気づくと、自分と僅かに遅れて併走する影がある。 ……兄者。 呼びかけてくる懐かしい声。振り返れば、黒髪を肩に流した青年が走る馬上から見返してくる。 ……いたのか。 ……ずっと、居た。兄者が気づかなかっただけだ。妄執に囚われて、見えなかっただけ。 青年が微笑んで、腕を差し伸べる。 ……待っていた。一緒に行こう。 北斗の足が緩み、やがて止まる。 青年に向かって伸ばした博雅の腕から、何かが抜けていく感覚があった。 ……感謝する。ひろまさ……名を呼んでくれて……泣いてくれて。 並んで馬に跨る二人の青年。同じ顔が笑っている。 双子の兄弟だったか。笑い返そうとした時、博雅の目の前が暗くなった。身体の力が抜けて馬から滑り落ちる。 瞑った 瞼の裏に風景が広がった。 どこまでも続く青い空。風にそよぐ緑の草原。風のように駆けていく……二頭の馬。 少しの間、気を失っていたらしい。 「博雅!」 晴明の声がする。大丈夫、といったつもりが声にならない。 上半身を抱き起こされて、うなじを支えられて。 襲ってきた眩暈に引き結んだ唇に、柔らかく暖かいものが重なってきた。 這い出た舌で唇を割られて、それが晴明の唇であると気づく。 口移しで流し込まれた液体が博雅の舌を焼いた。きつい酒に喉から胃の腑が少し温まる。 飲み下せずに唇の端から零れた液体を、晴明が舌で舐め取った。 やっと目をあけると覗き込む晴明の黒い瞳と出会った。怒りの色が瞳に閃いている。 「……すまない」 先手を打って、謝ってみた。晴明は何も言わずに睨んでいる。 「勝手をした……悪かった」 依然として無言のままの晴明に、博雅が不安になる。 「……晴明?」 「怨霊に身体を明け渡しなどして!とり殺されてもおかしくはないところだったのだぞ!」 いきなり怒鳴りつけられて、博雅が首を竦める。 「……すまん」 他に言いようもなく、もう一度謝ってみる。 大きく息を吸い込んでもう一度口を開きかけた晴明に、怒鳴られると見た博雅が思わず目を瞑る。 「……無茶をするな。頼む」 不意に耳元に囁かれた。強く抱きしめられて博雅が瞼を開く。 「帝などのために命をかけるな」 「主上のためではないよ」 ……ばか、と晴明の呟きが耳朶を擽る。その身体から伝わってくる暖かさに博雅が息を落とす。 帰れただろうか?と博雅が呟いた。 あの二人は……あの空に、広い草原に。
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