第三章 篠原一葉

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第三章 篠原一葉

 土曜日の朝は、ゆっくりと寝ていられるから好きだ。それでも今日は朝8時には目が覚めてしまった。  妹の美優紀が、ピアノの練習をしている音が階下から聞こえる。郊外の一戸建てなので、ピアノの音が多少外に漏れていても、近所の人はそれほど気にしていないようだ。  それどころか、隣のおばさんは美優紀のファン第一号で、休みの日はよく僕の家に来て、母と一緒に紅茶を飲みながら、妹のピアノ練習を聞いている。『みゆちゃん、本当に上手になったわね~。以前はこんなにちっちゃかったのに』と言いながら。コンクールにも毎回来てくれていた。  近所に一応気を使って、朝や夜の練習時にはサイレントモードにして、スピーカーから出る音を聞きながら練習している。実際に弦から出る音とスピーカーから出る音では迫力が全く違う。僕も妹が本気弾きをするピアノが嫌いではなかった。  着替えて一階へ降りていくと、キッチンには僕の分の食パンが焼かれた状態で置かれていた。 「おはよう、幸司。食べたら、お皿を下げておいてね」  母が台所から声をかけた。 「うん。父さんは?」 「今日も仕事だって」  父は、警察に勤めている。つまり僕は警察官の息子ってことだ。だけど、父は仕事のことは全く話さない。父の職業を知ったのも、小学校高学年になってからだ。制服を着た仕事ではないと言っていたので、刑事さんなのかと聞いたが『そんなもんだ』と曖昧にしか答えてくれなかった。なんとなく我が家では、父の仕事を聞くのはタブー視されている。とにかく父の仕事は不規則だった。  食パンにかじりつくと、昨日のパンケーキのことが思い出された。美味しかったな、あのパンケーキ。そういえば、店員が電話で今日の午後1時にって言ってたな……  僕は、ぱさぱさとする食パンに、マーガリンを追加で塗りながら、(そうだ、藤堂も誘ってもう一度あのカフェに行ってみよう、もしかしたらあの女の人をもう一回見られるかもしれない)、そう思った。けど、あの人が来たからといって、僕は何がしたいんだろう?  いや、僕はあの人がどんな人か確かめたいだけなんだ。動物が死んで悲しむ人なのか、動物の死骸を拾って売り物にする変人なのか。もう一度会えばきっとはっきりする。
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