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今より遥か昔、まだこの国が生まれて間もない頃、西の岬に一人の若い神が降り立ちました。
名を「ニニギノミコト」
彼がその岬を歩いていると、一人の若い娘が水を汲んでいました
川のように流れる艶やかな黒髪。ほんのりと染まる頬、薄く上品な唇と、その姿には似つかぬ強い意志を潜めた大きな瞳。そして何より、花が咲き乱れるように美しい衣に彼は心を奪われてしまいました
そのあまりの美しさに、思わず彼は息を呑み、時間が経つのも忘れて眺めていました
(あの娘は誰であろうか)
ようやく我にかえると、ニニギは思いきって声を掛けてみました
「そなた、名はなんという」
「...」
娘は見上げるように少しだけ顔を上げ、しかしすぐに水汲みに戻ってしまいました
「名を聞いておるのだ。名はなんという」
それでも娘は答えませんでした。ただただ一生懸命に水を汲み続けて、その小さな額には珠のような滴が、浮かんでは流れていました
もともと、それほど気の長いニニギではありませんから、それまでの気持ちも風のようにどこかへ消え去り、今度は少し腹が立ってきました
「もうよい」
鼻息荒く、踵を返してその場を離れようとした時でした
「お待ちくださいませ」
それまで聞いたこともないような清らかで美しい声に、まるで地面から足を掴まれたように、思わず立ち止まってしまいました
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