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サクヤヒメは家までの道のりを歩いたり走ったり、時には満点の星空を見上げたりして、気持ちを落ち着かせようとしました。しかしどんなことをしてみても、荒波のように胸を打つ鼓動は治まりませんでした。
(あぁ、私はどうしてしまったのかしら。これほどに心を乱してしまうなんて。あぁ、でも!)
気が付いた時には、サクヤヒメは家の前で立ち尽くしていました。今日出会ったあの方の話を、父にどう相談したものか。心は乱され、頭の中は渦巻く様に考えはまとまりません。悲しくもないのに、涙さえ流れてきました。
人の心と向き合うことが、これほどまでに苦しいとは思いませんでした。私はどうしたいのか、どうすれば良いのか、それを教えてくれる人は誰もいないのです。家に入ることもできず、サクヤヒメはただただ静かに泣くばかりでした。
「サクヤヒメ?」
腰掛け岩の上でひとしきり泣き続けて、もう涙も枯れた頃、そんな声がしました。腫れあがった瞼を擦りながら顔をあげると、そこには見知った顔がありました。サクヤヒメの姉、イワナガヒメでした。
顔は月のようにまん丸で、手足などは丸太の様に太く、背も低い。おまけに声は野太く、纏った衣は枯木の様な土色でした。思わず目を背けたくなるような、まるで美しさとはかけ離れたその姿に、サクヤヒメは声を上げて胸の中に飛び込みました。
「姉様!」
その醜く汚い衣の中で、サクヤヒメまた泣きました。今度は声を上げて泣きました。枯れたと思っていた涙は、止めどなく溢れて、止まらないのです。
「わたし!きっとおかしくなったに違いないのです!あの方を思うと胸が張り裂ける様に痛むのです!涙が止まらないのです!どうしたら良いかわからないのです!」
サクヤヒメの悲痛な叫びに一瞬だけたじろぎましたが、イワナガヒメは直ぐに優しく微笑み、強く抱き締めました。
「サクヤヒメ、まず落ち着きなさい。あなたはおかしくなどなってはいません。それからゆっくりで良いから、何があったのか、私に話してごらんなさい」
サクヤヒメは、この姉が大好きでした。たとえ人が忌み嫌っても、自分だけはこの姉の支えとなろうとしていました。サクヤヒメがこの姉を慕うのは、その心の清らかさからでした。その清らかさは、どんな美しさよりも美しいと、サクヤヒメは知っていたのでした。
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