味をつくる

2/6
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 女は薄闇の中を裸足で逃げていた。洞窟だった。女の視線の向く先に、その出口が光の点となって輝いていた。  息を荒げながら駆ける女の素足は、ゴツゴツとした岩肌の地面によって血にまみれている。薄い布を仕立てただけのぼろぼろの服は端々がよれており、三ヵ月も清めていない体臭が、その七分丈にも充たない袖口や膝元からとくとくと洩れている。  呼吸は細く、そして掠れていた。女は泣いていた。苦しげに掠れる嗚咽の中に、最後の肉親だった弟の名がまじっていた。  素足に岩肌が突き刺さることなど意に介さず走る女の背後から低いうなり声が忍びよる。  弟は殺されたのだった。その声の主は女を追っていた。洞窟内を這うように迫ってくる肉声から人外を連想させられるが、それは見まがうことなく怪物だった。  人の町に現れたのは三ヶ月ほど前になる。少なくとも女の住んでいた町の人々は、みなこの洞窟に連れ去られた。そして次々と殺されていった。その中には女の両親も含まれていたが、彼女を眼前にして、二人は雑草が地面から引っこ抜かれるように上下を引き裂かれ、あっという間に呑み込まれた。  そのとき怪物が人の言葉で呟いた。 「マズい」  つまり、美味くないと言ったのだった。  それから何人かを同じように喰らうと、怪物はやはりマズイと呟き、それっきり闇雲に殺すことをやめた。人の町で調達できる穀類を人々に与えるだけの日々がぴったり三〇日流れた。  やがて豚や牛などの肉が調理されているものを人々に食わせるようになった。重厚な芳ばしい匂いと肉汁が熱に跳ねる音が人々の食欲をそそった。その場に居た誰もが唾液を滴らせていた。しかし、その内のひとりは、肉料理を口から強引に詰めこまれた際に、怪物のいびつな指に喉を裂かれて絶命した。動かなくなったそれを見下げ、怪物は困ったように頬を掻いた。そして例にならってぺろりと呑み込んでしまった。  その後、怪物が同じ轍を踏むことはなかった。丁寧に料理を並べ、怪物にとっての家畜が自らそれを食べ始めるまでジッと待つようになったのだった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!