第一章

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“君はあの頃のように仕事ばかりをして過ごしているのかな。そんな君に、こんな風に身勝手に手紙を出すことを申し訳なく思っている。いつも我がままを言うのは君の特権だったから、きっと戸惑っているだろうね。ごめん。” 何度もためらってやっとの思いで読み進めるそれは、どれも私の心を鈍く打ち付けるものだった。あの頃とは随分と生活が変わっている。すべてを投げ出した私がこの手紙を受け取る資格があるのか、それすらも分からなかった。 彼との付き合いは一年にも満たないほど短いものだった。社内恋愛という面倒な関係を一番嫌っていたのは私だったのに、彼のアプローチに気付いたらほだされて付き合いだしていた。 「同じフロアで働く君を、気付いたらいつも見ていたんだ」 最初のデートで、彼は真っすぐに私を見てそう言った。怪訝な顔で彼の話を聞いていたことを思い出す。はじめは、なんの冗談かと思った。恋愛経験はそれなりにはあったけれど、うちの部署にはマドンナと呼ばれるような人がいたから、ほかの女性社員は彼女の陰に隠れてしまっていると思っていた。 「どうして私を?」 そう問う私に、 「どうしてだろうね」 照れ笑いを浮かべながら、“なぜか目を離せなくなったんだ”と告げた彼の言葉を、私は素直に受け止められなかった。 二度目のデートに映画を選んだのは、だからあまり話さなくていいと思ったからだった。丁度流行っていた映画を無難に提案した。同期との話題についていくのに都合が良い、それだけが理由のはずだった。そうして無難を繰り返しているうちに、彼の趣味がだんだんと分かっていくのが妙に心地が良かった。 「この曲、最近ハマってるんだよね」 そう言ってカフェで片方のイヤホンをこちらに渡した。洋楽で歌詞の意味は一切分からなかったけれど、頭に情景が浮かぶサウンドだった。 「雨の日の曲みたい」 そう返す私に、 「夜の雨、じゃない?」 すぐに切り返された彼の言葉は衝撃的だった。頭の中を覗かれたような気分だった。彼と付き合うのを決めたのがどのタイミングだったかをふり返るなら、きっとあの時だったんじゃないかと思う。 自然と、彼の好むものは私の心を弾ませた。
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