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 ありもしない鏡の声を私が演じ、それに対して相手役の私の声を私が演じる。  そんな一人芝居だ。 「何? 幸せを映す鏡ですって」  驚くようなふりをして、声を荒げた。 「そうですとも。ほら、ごらんなさい。右端に小さく子連れのお母さんらしきご婦人が見えるでしょう。笑顔で笑っているあの様子を、誰が不幸だというでしょうか。いや言いません。あの方は幸せの最中でしょうに」  鏡は脳天気なことを言う設定にした。ひょうきんな道化師のイメージで声を当てる。    それに対して語り手の私はリアリストで客観的に物事を批判する設定。 「本当にそうでしょうか。私の目には現実逃避で笑っているだけにも見えますが」  そんな頭の固い人のふりをする。  鏡はそれに対して反抗する。なぜなら鏡にとって世界は幸せであふれているものだから。 「そんな悲しいことはめったにありません。そして、幸せはもっと身近に溢れているのです。ほら、左端の男性を見てください。アイスクリームを頬張っていますよ。食欲を満たすことは幸せなことですよ」  鏡を覗く私には、鏡の端に入り込んだ男性の表情が見えなかった。ただ、手にコンビニのアイスをもっているところと太い首と短い髪が見えた。もしかしたらガタイのよい女性だったかもしれないが、あえてここでは男性にしておく、これは先程の女性の対比なだけである。幸せの別の面を見せるために鏡が告げる方便なだけ。 「さあ、これは幸せでしょ?」  鏡が私に問いかける。  すると、私は考え込み、しばらく悩んだことにしておく。本当に思っているわけではない。なぜなら答えは最初から私が作り漬け込んでいるのだから。  うつむき加減から、顔を上げ私は小さく笑う。 「食欲は満たした後に、罪悪が襲うのです。それだってよくある身近なことではありませんか」  心が満たされた後、心が満たされたことを拒絶するのです。  私はにこにこ笑う演技がしたかった。鏡ならきっとニコニコ笑って返す言葉を作るのに、演者の私はどうもそこまで上手く笑えなかった。右半分が動かなかった。  半分欠けているから。  だから、鏡は笑えずに。 「では、貴方には幸せはなかったのですか」  その問いかけに私が返す言葉は。 「あったよ」という短い肯定の後、「でも、今さっきなくなった」って正直に返した。 すでに演者は舞台の裾へと去っていたのだ。    
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