君の名前を呼ばせて

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   エレンは疲れていた。 ずっとずっと、毎日絶え間なく嘘をつき続けているからだ。 友達にも、自分にも、そして恋人にも。  エレンはホテルのレストランの個室でランチを取った。 目の前には上司のアダムスが座っている。 「ログノフは?どうだ?」 エレンはバッグから封筒を出した。 「…彼の手帳のコピーです…」 アダムスは封筒からコピーを取り出すと、一瞥して脇へ置いた。 「ログノフの最近の行動範囲は?」 「よく分かりません」 ローストビーフは二日酔いのエレンの胃には好ましく無い。 「あまりそんな話をしないので…」 アダムスは困ったようにエレンを見つめた。 「Tという人物に心当たりは?この前貰った手帳のコピーにもあったが…頻繁に会っているようだ…」 「分かりません」 「何でもいいから、言ってみろ」 そう言われても困るしかない。 フロル・ログノフのことについて知っていることと言えば、彼は「ミハイル・グラーニン」という偽名を使い、ロンドンでソ連の大使館員を装う諜報部員だということ。趣味は油絵で、そして「ローザ・ブラウン」という、架空の人物が恋人…、ということだけだ。 そのローザを演じているのはイギリス諜報部のエレン・オーウェン…、自分だ。 「まぁ、いい、そんなにすぐに情報が入ってくるとは思っていない。ただ、絶対にこっちのことは気づかれるな。分かったな」 「はい」 「気づかれたら、殺されるぞ」 「分かってます」 信じられない。ミハイルが、平気でローザを殺せるなんて、想像も出来ない。 だが、それが現実なのだ。 優しく暖かな朝、それは夢幻に過ぎない。銃口を向けられるかもしれない未来が現実なのだ。
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