3人でキュリプア

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 しかし世界は平和だった。悪の芽がどこかで芽吹いたかもしれないが、争いの火種が撒かれたかもしれないが、まだ平和だった。確かに見えないところで悪行が横行し、正義と愛が踏みにじられているかもしれないのは確かだ。しかし、見えない悪に対して我々はどう戦えばいいのだろう。  悪を悪だと感じ取れないこの社会。搾取されるものが「仕方ない」と言い――あるいは言わされ――絶望を絶望とも知らずそれに飲み込まれていくこの世界で、正義とはどうあるべきなのだろう。弱い人々に救いの手を差し伸べる事は、実はその人を弱いと決めつけているのではないだろうか。ただ自尊心や満たし、自己実現を叶えているだけなのではないだろうか。それは果たして正義と呼べるものだろうか。  この問いの答えは恐らく無い。どれだけ正しい行いをしても心無い誹謗、中傷を受けるのが現代社会だ。だから我々は考えなければならない。何を言われても、どう貶されても、自分の進むべき道には、自分の正義があるのだと言う為に。同時に、その正義を常に疑わなければならない。必ず自分とは相いれない正義が、この世にはあるのだから。  だから備えよキュリプア、来るべき戦いの日の為に!  跳べ、うしゃブロッサム! 悲しむあの子の為に!  描け、せどピーチ! 笑顔を届けるために!  話せ、しは沙羅双樹! まずは声を出すことに慣れるために!  備えよキュリプア、来るべき戦いの日の為に! 戦えキュリプア、平和のために!  
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