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「おい」
何度目かの問いかけにも、目を開けない男に苛立った俺は、ベンチの長さに収めるために折り曲げられている足を、蹴りあげた。
男は、ようやく薄目を開けて、俺を見た。
「痛いんだけど」
不機嫌な声。
「何度呼んでも起きないからだろ」
俺も負けず劣らず、不機嫌に応じる。
「俺に言ってたの?おい、おい、うるせーと思ってたんだ」
男は、寝返りをうって、再び目を閉じる。
晩秋の公園は、今期一番の冷え込みになるという予報通り、襟元を掻き合わせたくなる寒さだ。
よくこんな所で寝ようという気になるものだ。
「起きろ」
俺はもう一度足を蹴った。
「ホームレスは、呼びかけに応じなかったら、蹴っていいわけだ」
自虐的な響きを含むつぶやきに、苛立ちがつのる。
「宿と飯をやる。付いてこい」
男は、わずかに肩のあたりをピクリと動かした。
胸の奥の奥に、自尊心を押し込んでいるんだろう。
数秒間を置いて、男はベンチに起き上がった。
「何?お前んちに連れてってくれんの?」
俺は、踵(きびす)を返して、男が立ち上がるのを待つ。
「やーらしぃ」
俺の苛立ちを、わざと煽るように大仰に体を隠す真似をする。
「昔のよしみだ」
驚いたように一瞬息をのんだ。
「気づいてたんだ。一夜のお相手にされんのかと思ったよ」
男は、ようやく立ちあがり、薄汚れたリュックを、モッズコートの肩に掛けた。
「いつから気づいてた?」
「一週間前」
「ここをねぐらにして、すぐだな。よく、俺だってわかったな。こんななりなのに」
そう言って、自分の格好を見下ろす。
埃っぽいモッズコート、黒ずんだTシャツ。
あの頃の面影もない、やつれて、ひげの伸びた、鋭く顎の線のでた顔。
最後に顔を合わせたのは、中学の卒業式。
あれから、15年。
けれど、俺の記憶の中の顔は、もっと幼い。
中学1年の夏休みの夜。
湖の底みたいな、冴え冴えとした目で、俺を見返す少年。
俺の脳に、写真のようにはっきりと、あの時のあいつの顔が、刻み込まれている。
あの時とどんなに変わっていても、俺が気づくのは、もう二度と見たくない顔だったからだ。
「久しぶりだな、黒川」
その男、間島秀幸は、今の俺を確認するように俺を見て、少しだけ昔を懐かしむような響きを含ませて言った。
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