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「このニワトリ、文香さんに被せられたっていうのは嘘です。俺が自分で被ったんです」 私は自分の耳を疑った。桜井くんはいつもあんなに頭が切れて、羽目を外したりしない人なのに。 「なんで、そんなバカなことしたの?」 「髪が引っかかって脱げなくなったのは想定外のことでした」 私の正面に正座した桜井くんは、事のいきさつを語り出した。 「酔い潰れたあなたが、寝ぼけながら俺に言ったんです。さみしいって」 「なっ!? 言ってない!」 「言ったんです。みんな聞いてます。あなたが『桜井くんがいなくなったら、さみしい』って言ったのは」 顔から火を噴くって、こういうことだ。 薄っすらと自分が言ったという記憶があるだけに、恥ずかしくて堪らない。 「また、そんな顔して。……とにかく、あなたは言ったんです。それで、俺もさみしいですって返事をした。そしたら、みんなが囃し立てて『二人きりにしてやるから上手くやれ』って言って先に帰っちゃったんです」 「それはわかったけど、ニワトリ頭はどう繋がるの?」 違う部署に異動する同僚と、『さみしいね』ぐらいは言い合ってもおかしくない。 それをみんなに冷やかされて、酔った私を押し付けられたんだから、桜井くんには気の毒なことをした。 でも、まさかその腹いせに私を驚かせようとしたのなら、あのニワトリは可愛すぎた。もっとリアルなニワトリだったら怖がっただろうけど。 「まともに顔を見られたら告白できないと思ったから、店員に無理を言って貸してもらったんです」 「何の告白?」 まさか必要経費の水増し!?  今日、ごっそり渡された領収書の中に、実は業務とは関係のないものを紛れ込ませていたとか? 私の鋭い眼差しに耐えかねたように、桜井くんは立ち上がってまたニワトリを手に取った。 「被っちゃダメよ」 「被りません」 桜井くんが自分の顔の前にニワトリを持ったから、まるでニワトリ頭と会話しているようだ。 「……俺がいなくなると、さみしいんでしょ? 俺もあなたの隣で仕事が出来なくなるのはさみしいです。でも、秘書課に異動になったことは嬉しいんです」 「昇格みたいなものだものね」 平社員には変わりないけど、男性秘書は社長直属で会社の全容を把握できる。ある意味、重役よりも強い立場だったりするらしい。
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