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「三橋さんの家、こっちでしたよね」
桜井くんに促されて歩き出した。ちょっとフラフラするけど千鳥足と言うほどじゃない。
でも、桜井くんに左手をしっかり握られていた。
桜井くんと私を置き去りにしてくれた文香に感謝したいぐらいだ。
「あれ? でも、その頭で帰るの? ウチからだと電車に乗らないと帰れないよね?」
この店からだったら、ちょっと遠いけど歩いて帰れないことはない。そんな距離にある桜井くんの家は私とは反対方向なので、私の家まで送ってくれたら歩くには遠すぎる。
「こんな頭で電車に乗ったら周りからスマホを向けられて、オモシロ動画としてアップされまくりになりますよ」
「だよね。いっそ駅のホームでチキンダンスを踊っちゃうとか」
「何ですか? チキンダンスって」
「あー、アメリカではメジャーなダンスで。披露宴でみんなで踊ったりするの」
私が説明すると、桜井くんは怪訝な顔をした。
「三橋さんって帰国子女でしたっけ?」
「じゃなくて、留学経験者」
このことは特に桜井くんには知られたくなかったのに、酔っ払いってやつは墓穴を掘ってしまうものらしい。
「へえ? アメリカに留学してたんですか? じゃあ、英語はペラペラ?」
「日常会話はね。でも、ビジネス会話となると話は別」
「高校時代? 大学の時?」
いきなり桜井くんに核心をつかれた。
「大学卒業後に二年間。向こうで就職しようとしていたんだけど挫折した。だから、私、今年で二十九になるの」
桜井くんが今、ニワトリ頭で良かった。どんな顔をしているか、見なくて済んだから。
やっぱり桜井くんのコミュニケーションスキルはイマイチだと思う。
女が『私はあなたが思っていたよりも二歳年上の三十路間近なのよ』と告白したのに、何のフォローも話題の転換もしてくれなくて無言になるんだもの。
二十九歳って微妙な歳だと思う。
いっそ三十を超えれば気分的にリミットが少し伸びるのに、二十九だと三十までにって思ってしまう。
そんな女心を桜井くんに理解しろとは言わないけど。
「電車に乗れないなら、タクシーを呼ぶしかないね。その辺で拾おうとしても、ニワトリ頭だと乗車拒否されるかもしれないから」
「そう……ですね」
桜井くんの返事はどこかうわの空に聞こえた。
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